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本島等

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本島 等
もとしま ひとし
1987年、荒木武広島市長(中央)と率いる代表団と共に東ドイツを訪問し、エアハルト・クラック東ベルリン市長(左)に歓迎を受ける本島等(右)。
生年月日 1922年2月20日
出生地 長崎県南松浦郡北魚目村(現・新上五島町
没年月日 (2014-10-31) 2014年10月31日(92歳没)
出身校 京都大学工学部
所属政党 自由民主党

第25-28代 長崎市長
当選回数 4回
在任期間 1979年5月2日 - 1995年5月1日
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本島 等(もとしま ひとし、1922年大正11年〉2月20日[1] - 2014年平成26年〉10月31日[1])は、日本政治家1979年(昭和54年)から1995年(平成7年)までの4期にわたり長崎県長崎市長を務めた[2]

略歴

長崎県南松浦郡北魚目村(現在の同郡新上五島町[3]に生まれる。洗礼名、イグナチオ・ロヨラ。カトリック教徒。[4]

隠れキリシタンの末裔であるカトリック教徒で母は未婚であることから戦時中スパイ疑惑を掛けられた。旧制高校在学中の21歳の時に徴兵されて見習士官として新兵に大砲の撃ち方を指導した。所属する西部軍管区教育隊・砲兵生徒隊が疎開する熊本市郊外の山奥で終戦を迎えた。1945年8月砲兵少尉に昇進予定だった。[4] 戦後は京都大学工学部土木工学科に入学して京都カトリック学生連盟の委員長を務め、27歳で卒業した。

東陵学園(現 長崎南山中・高)教諭、県教委職員などの教員生活を経て、同郷の故白浜仁吉衆院議員(元郵政相)の秘書、長崎市立高教諭などを経て、1959年長崎県議会議員(長崎市区)に初当選。[4] 連続5期20年務め、自由民主党長崎県連合会幹事長などを歴任。[4] 1979年の長崎市長選挙で現職の諸谷義武を破り、長崎市長に初当選。1995年まで4期16年務めた。[4]

昭和天皇の病態に関する報道が相次ぐ1988年(昭和63年)12月7日に、市議会で日本共産党議員が昭和天皇の戦争責任に関して意見を求めて質問すると、市長3期目の本島は海外の記事や自分の従軍経験から考えて「戦後43年経って、あの戦争が何であったかという反省は十分にできたと思います……私が実際に軍隊生活を行い、軍隊教育に関係した面から天皇の戦争責任はあると私は思います」と答弁し、記者会見で「天皇が重臣らの上奏に応じて終戦をもっと早く決断していれば沖縄戦広島・長崎の原爆投下も無かったのは歴史の記述から見ても明らかです」と重ねて発言した。直後に自民党県連などが発言の撤回を要求すると、自分の良心を裏切ることはできない、として拒否したため自民党県連から県連顧問を解任され、多数の右派系人物や組織から非難を浴び、街宣右翼から80台以上の街宣車で「天誅」と糾弾しされた。

発言の「天皇にも戦争責任はあると思う。しかし、日本人の大多数と連合国軍の意志によって責任を免れ、新しい憲法の象徴になった。私どももそれに従わなければならないと解釈している。」とする主旨を、マスメディアは「天皇の戦争責任はあると思う」を強調して報道した[5]

本島個人の責による警護公費の増大を自民党市議が懸念し、長崎県警察が警備を緩和すると、1990年(平成2年)1月18日に右翼団体正気塾』の田尻和美が本島を背後から銃撃[6]したが、重体から回復した本島は「犯人を赦す」と語った。

1991年(平成3年)の選挙は、日本共産党は公認候補を出さずに本島を支持したほかに左派勢力も協力し、本島は4回目の当選をした。1995年(平成7年)の選挙は、多選批判などを受けて自民党の推薦を受けた伊藤一長に敗れ、政界から引退した。2007年(平成19年)にその伊藤が暴力団員からの銃撃で死亡した際「2代にわたり市長が銃撃されるのは異常」と毎日新聞の取材に答えた。

2002年(平成14年)に第1回韓日平和交流功績賞[7]ドイツ功労勲章一等功労十字章を受けた。[4]

2002年(平成14年)以降は左翼過激派[誰によって?]と顕著に接近し、中核派の機関紙『週刊三里塚』巻頭で「闘いの言葉」を執筆する。

2012年6月、秋月平和賞受賞。[4]

2014年(平成26年)10月31日、肺炎のため死去[8]。92歳没。

原爆投下に対する考え

1997年(平成9年)に、原爆ドーム世界遺産登録に際して「広島よ、おごるなかれ―原爆ドームの世界遺産化に思う」[9]を広島平和研究所に寄せ、「原爆は落とされるべきだった」「原爆が日本に対する報復としては仕方がなかった」と記した。1998年(平成10年)7月に、共同通信社の単独インタビューで「(原爆は)落とされるべきだった。(満洲事変から終戦までの十五年間にわたる)あまりに非人道的な行為の大きさを知るに従い、原爆が日本に対する報復としては仕方がなかったと考えるようになった」と答えた。これを広島大学の川口隆行[10]は「加害の認識と謝罪の徹底を通して原爆観の落差を埋めること、そして何よりも被爆体験の特権化による『被爆ナショナリズム』の解体にこそある」[11]とするが、右派や被爆団体は非難した。

2007年(平成19年)に防衛庁長官であった久間章生が「原爆投下は仕方が無かった」と発言して与野党や世論から大きな反発を受けた時に、「日本の戦争責任をもう一度考えるきっかけを与えてくれた」と理解を示して「当然の認識で僕も同感。久間さんの発言も同じで、原爆の肯定だ、容認だと批判するのはおかしい。天皇陛下も原爆容認論だと批判するのか」と発言を支持した。

原爆投下に対する発言

この節は大言壮語的な記述になっています。Wikipedia:大言壮語をしないを参考に修正して下さい。(2019年8月)
この節は言葉を濁した曖昧な記述になっています。Wikipedia:言葉を濁さないおよびWikipedia:避けたい言葉を参考に修正してください。(2019年8月)
この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2019年8月)

前述のように原爆投下を因果応報のような発言を述べている[12]

[質問]米国の原爆投下をどう考えるか。
[回答]『落とされるべきだった。(満洲事変から)15年間にわたるあまりに非人間的な行為の大きさを知るに従い、原爆が日本に対する報復としては仕方がなかったと考えるようになった』
[質問]原爆の持つ非人間性は。
[回答]『原爆による死には『極限の残虐』という言葉が使われるが、拷問で死ぬ前の隠れキリシタンの恐怖は、いかばかりだったか。南京大虐殺731部隊も残虐の極致だ。日本人の非人間性、野蛮が出ている』
[質問]現在の核兵器をどうとらえるか。
[回答]『今、核兵器では何千万という人々が死ぬ。おもちゃのような原爆は、当時の考え方からすれば通常武器の一種だったと考えざるを得ず、核兵器廃絶を考える基礎になるものでない。被害の大きさが違い比較にならない』
[質問]今の認識に至ったのはなぜか
[回答]『日本人の持つ原爆観が世界に通用しないことを痛感するようになった。原爆は中国など侵略を受けた国々にとって救世主だった。市長を16年間続けている間、被爆者問題について考え続けたが、日本人の野蛮は計り知れない。日本人全員が謝罪する義務を負っている』
[質問]被爆者団体の反発が予想されるが。
[回答]『撃たれた時もそうだったが、この発言を緩めるつもりはない。間違っていると思った時に声を上げるのが、われわれの任務だ。今年いっぱいかけて、これらの考えを論文にまとめたい』

以上は、共同通信社のインタビュー配信記事、1998年7月29日。

[質問]米国による広島、長崎への原爆投下についてどう考えているか。
[回答]『米国やアジア太平洋諸国は原爆投下を『正しかった』『天罰だ』『救世主だった』と思っている。確かに、日本がアジア・太平洋戦争などで行った数々の悪魔の所業を思うと、原爆投下は仕方なかった、やむを得なかった、と言わざるを得ない。東京大空襲沖縄戦も同じだ』
[質問]日本の行為の報いとして、原爆投下や東京大空襲、沖縄戦で多数の一般市民が殺されたということか。
[回答]『因果応報的であらっぽい考えといわれるかもしれないが、日本が戦争を仕掛けたときから、昭和天皇をはじめとする指導者はどういう報復があるか分かっていたはずだ』
[質問]原爆や空襲、沖縄戦の犠牲者に責任があるのか。
[回答]『戦争責任は昭和天皇をはじめとする戦争指導者だけでなく、マスコミにあおられて狂信的に戦争を進めた一般民衆にもある。全国民を裁くわけにはいかないので、東京裁判で指導者が裁かれた』
[質問]日本の「悪魔の所業」とは具体的に何を指すのか。
[回答]『条約を踏みにじって奇襲攻撃を仕掛けた日清日露戦争やアジア・太平洋戦争で行われた化学兵器生物兵器を使った大量虐殺。例えば、南京大虐殺、三光作戦、731部隊だ』
[質問]核兵器の使用は非人道的とは思わないか。
[回答]『1996年(平成8年)に国際司法裁判所は核兵器の使用を『一般的には違法』と判断したが、それまでは規定はなかった。当時の原爆は今の核兵器と比べれば、おもちゃのようなもので、通常兵器と変わらない。原爆による死を残酷だというが、南京大虐殺や三光作戦による死もすさまじい。書物によると、中国で日本軍に殺された人は1000万から1500万人、インドネシアでは400万人、フィリピンでは110万人。原爆や空襲犠牲者の数とは比べものにならない』
[質問]被爆者や遺族をはじめとして、世論は反発するのではないか。
[回答]『自分の信念を言っているだけだ。世界の人々の共感が得られない原爆観、戦争観ではだめだ、と訴えたい。近く論文にまとめたい』

以上は、産経新聞、1998年8月1日

出典・脚注

  1. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、408頁。
  2. ^ [1]
  3. ^ 『赦し―長崎市長本島等伝』”. 東日新聞. 2018年7月14日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g 『本島等の思想』長崎新聞社、2012年。 
  5. ^ ニュースは語る 戦後五〇年 - 長崎新聞社
  6. ^ 田尻は2000年(平成12年)に刑期満了で出所し、団体の創始者と養子縁組して改姓して若島和美となり、団体幹部を務める。
  7. ^ 韓国の被爆者団体と長崎県被爆2世教職員の会が設けた賞。
  8. ^ 訃報:本島等さん92歳=元長崎市長 毎日新聞2014年10月31日
  9. ^ 原爆と戦争責任(本島等発言記録)
  10. ^ 広島大学学術・社会産学連携室研究企画室 (2015年). “川口隆行(大学院教育学研究科)”. 広島大学研究者総覧. 広島大学. 2018年8月23日閲覧。
  11. ^ 川口隆行「被害と加害のディスクール」雑誌「原爆文学研究」第3号 (2004.08)
  12. ^ この人を見よ 〜本島 等氏の言動の先にあるもの〜 飯嶋七生 自由主義史観研究会

関連書籍

  • 『長崎市長への七三〇〇通の手紙』 径書房 第一版:ISBN 4770500718 増補版:ISBN 4770500777
  • 長崎市長のことば 本島等 岩波ブックレット 1989(天皇戦争責任発言に関して本島氏に聞く)
  • 昭和を生きて 沢地久枝 岩波ブックレット 1991(戦争責任について)
  • タブーへの挑戦:本島発言に市民は 言論の自由を求める長崎市民の会編 1989(本島氏の発言を支持する市民の声)
  • 天皇制と小さな民主主義:本島長崎市長銃撃に抗する市民たち 言論の自由を求める長崎市民の会編 明石書店 1990(本島氏銃撃事件へ発言する市民の声)
  • 「なぜ平和宣言で「謝罪」を言ったか」 本島等 論座 (通号 31) [1997.11]
  • 「広島よ、おごるなかれ―原爆ドームの世界遺産化に思う」、平和教育研究(24)(1997.4)→日本原爆論大系第7巻:歴史認識としての原爆 日本図書センター 1999に収録
  • 『赦し 長崎市長 本島等伝』横田信行 にんげん出版:ISBN 9784931344211
  • 原爆・戦争・ヒューマニズム 「本島等の思想」 平野伸人 編・監修 長崎新聞社 2012

関連項目

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本島等
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