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中村憲剛

中村 憲剛
名前
愛称 ケンゴ
カタカナ ナカムラ ケンゴ
ラテン文字 NAKAMURA Kengo
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1980-10-31) 1980年10月31日(43歳)
出身地 東京都小金井市小平市生まれ)
身長 175cm
体重 66kg
選手情報
ポジション MF(DH, OH)
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2020 川崎フロンターレ 546 (83)
代表歴2
2006-2013[1] 日本の旗 日本 68 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。2020年12月20日現在。
2. 2013年6月22日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

中村 憲剛(なかむら けんご[2]1980年10月31日 - )は、東京都小平市生まれ、小金井市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションミッドフィールダー(主にトップ下ボランチ)。元日本代表

プロデビューから引退まで川崎フロンターレ一筋でプレーしたバンディエラ。引退後はクラブのリレーションズ オーガナイザー(FRO)を務める[3]

来歴

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プロ入り前

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小学1年生でサッカーを始め、府中市府ロクサッカー少年団に所属。少年団の先輩に澤穂希、後輩に保坂一成がいる。5年生時に全日本少年サッカー大会でベスト16。6年生時に8回東京都少年選抜サッカー大会では開会式で選手宣誓を務め、飯尾和也高橋泰星大輔らと共に大会優秀選手10名に選ばれた。

小金井市立第二中学校、東京都立久留米高等学校を卒業後、中央大学文学部文学科英米文学専攻に進学[4]。2年時にレギュラーを掴む。3年時は[5]関東大学リーグ1部で最下位に終わり2部降格。4年時は主将として2部優勝を果たし1部復帰。後に結婚する加奈子夫人は、苦楽を共にしたサッカー部マネージャーであった。

川崎フロンターレ

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2003年、テスト生として参加していた川崎フロンターレに正式入団。開幕戦となるサンフレッチェ広島戦で初出場、4月9日モンテディオ山形戦ではプロ入り後初得点を挙げた[6]

入団当初はいわゆるトップ下と呼ばれる攻撃的ミッドフィールダーだったが、2004年関塚隆監督の提案でボランチコンバートした[7]2004年のJリーグ ディビジョン2で優勝し、J1に昇格した。

2005年8月24日、20節の横浜F・マリノス戦で[8] J1初得点。

2006年イビチャ・オシムが就任後、A代表に初選出。10月4日ガーナ戦で初出場、10月11日インド戦で代表初得点[1]。日本代表メンバーに定着。クラブ史上初のJリーグベストイレブン谷口博之と共に選出され、以降4年連続でベストイレブンを受賞している。

2010年2月23日、AFCチャンピオンズリーグ2010城南一和戦で下顎骨骨折するも、南アフリカワールドカップ最終メンバーに選出。決勝トーナメント第一戦のパラグアイ戦に出場した[1]

同年オランダPSVからオファーを受けたが、「練習参加から拾ってもらった身。何も残さないままいなくなれない」[9]、とチームに残留した。

2011年10月11日の2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選タジキスタン戦では約1年ぶりに先発出場すると、1得点3アシスト[10][11]

2012年、キャプテンとして全34試合に出場し5得点、リーグ最多の13アシスト。

2013年、加入した大久保嘉人レナトと共に川崎の攻撃の中心となった。リーグ戦で29試合7得点を記録。アジアチャンピオンズリーグへの出場権獲得した。

2014年、5月12日の2014 FIFAワールドカップ日本代表予備登録メンバーに選出された。

2016年、7月9日の名古屋グランパス戦においてイ・スンヒから悪質なタックルを受け負傷退場。中村は右足関節捻挫、長母趾伸筋挫傷、長趾伸筋挫傷の怪我を負うも[12] 最終的には9ゴール11アシスト。歴代最年長の36歳でJリーグ年間最優秀選手賞を獲得した。

2017年から、3年間務めてきた川崎の主将を小林悠に譲った。10月14日、第29節のベガルタ仙台戦でJ1リーグ通算400試合の出場を達成。第34節の大宮アルディージャ戦では3得点の起点となり[13]、チームの勝利に貢献。クラブ初のJ1優勝に貢献した[14] 同年史上最年長となる36歳50日でのJリーグ年間最優秀選手賞受賞がギネス世界記録に認定された[15]

2018年シーズン、5月20日、清水エスパルス戦で2得点を挙げて勝利に貢献した。また、この日で通算419試合出場し、大卒では藤田俊哉に並ぶ出場記録となった[16]

2019年シーズン、クラブ初のルヴァンカップ優勝。11月2日に行われた広島戦で左膝前十字靭帯損傷の重傷を負った[17]

2020年シーズン、第13節の清水エスパルス戦で、約10ヶ月振りに公式戦への出場を果たし、シーズン初得点を決めた[18]。10月31日、40歳の誕生日にホームでの多摩川クラシコにて自身初となるバースデーゴールを決め勝利[19]。J1での40代選手のゴールは史上6人目で、バースデーゴールとしては最年長記録であった[20]。翌日の11月1日、同シーズン限りで現役を引退することを表明した[21]。12月16日のホーム最終節浦和レッズ戦に出場し小林のゴールをアシストした[22]。翌年1月1日に行われた天皇杯決勝・G大阪戦では出場出番は無かったもののチームは勝利し、同大会クラブ初優勝を果たした[23]。J1リーグでの通算471試合出場は歴代13位(2022年時点)。

現役引退後

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2021年1月、川崎フロンターレのFrontale Relations Organizer(フロンターレ リレーションズ オーガナイザー、FRO)に就任した[24]。同年4月8日には日本サッカー協会のロールモデルコーチに就任し、U-17日本代表のコーチを担当した[25]。並行してDAZNNHK BS1Jリーグ中継解説者や、NHK総合テレビジョンサンデースポーツ」サッカーコメンテーター(2022年4月から)を担当している。

エピソード

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  • かつての憧れはラモス瑠偉、また好きなサッカー選手はジョゼップ・グアルディオラ[26]
  • 背番号の14番を好む理由について、「14っていう数字の並びがいいんだよね。1と4のバランスとか、カクカクしたとがった感じとか、すごくかっこいいと思う」と語る[27]
  • 好きなアーティストはスキマスイッチMr.Children。スキマスイッチの常田真太郎とは友人(ウイニングイレブン仲間[28])。
  • 都立久留米高等学校のサッカー部の古い先輩に、志村けんがいる[29]
  • 2008年9月25日に長男が誕生した[30]。直後の柏レイソル戦でゴールを決め「ゆりかごダンス」を披露した。中村自身のFKからのゴールを含め3回(試合は5-2で勝利)にも及んだことでチームメートの鄭大世に「一体、何人生まれたんだ?」と突っ込まれた。
  • 2010年4月8日に長女が誕生した[30]。子煩悩であり、2010年8月には月刊誌『すてきな奥さん』(主婦と生活社)の取材を受けた[31]。2016年3月29日に次女が誕生した[30]
  • 2011年、年末の「やべっちFC〜日本サッカー応援宣言〜」で年間最優秀FK賞を受賞した。(同年5月28日J1第13節ガンバ大阪戦で決めたFKによるもの)
  • 2019年限りで引退したフェルナンド・トーレスがJリーグで最も印象に残っている選手として中村憲剛を挙げた。またFWの後ろで冷静にプレーし、試合を落ちつかせる能力があり、常にFWを見てプレーしていることから一緒にプレーしてみたかったと語っている[32]
  • 2020年にはヴィッセル神戸でプレーしていたアンドレス・イニエスタが選ぶ『Jリーグの神選手』にただ一人挙げられ、中村も「自分の信じてきた道のりが肯定された瞬間でした」と自身のブログで反応している[33]
  • 2014年からシーズン前に放送される「やべっちFC」内の企画「デジっちが行く!」で、そのシーズンのゴールパフォーマンスを決める事がお決まりになっている。パフォーマンスは中村が考えるのでは無く、シーズン前の合宿で主に登里享平森谷賢太郎(2019年に磐田へ移籍)ら後輩が考えて中村に提案する形である[34]。2016年からは、お笑い芸人のギャグをゴールパフォーマンスにしているが、ウーイェイよしたか[35]サンシャイン池崎[36] はツイッターで反応し、2018年のバイク川崎バイクは実際にスタジアムに来場し、コラボが実現している。また、バイク川崎バイクが来場した8月25日の仙台戦で得点を挙げて、本家の前でBKBを披露した[37]
年度
パフォーマンス
元ネタ
2014 SKP14(すきっ歯14) SKE48がモチーフ。「14」は背番号。
2015 両手で四角くフレームを作るポーズ 雑誌『サッカーマガジンZONE』で掲載されていたポーズ
2016 ウーイェイ![35] お笑いコンビスマイルのウーイェイよしたかのギャグ。理由は顔が似ているから。
2017 ジャスティス![36] 芸人サンシャイン池崎のギャグ
2018 BKB(僕、川崎のバンディエラ) ヒィーーーアッ[37] 芸人バイク川崎バイクのギャグ
2019 イヤァオ WWE所属のプロレスラー中邑真輔の入場パフォーマンス。理由は「なかむら」繋がり。
2020 ゲッツ 芸人ダンディ坂野のギャグ。パフォーマンスに使うのは両手のみなので、負傷した前十字靭帯にも影響がないというのが理由である。

所属クラブ

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ユース経歴
プロ経歴

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2003 川崎 26 J2 34 4 - 3 2 37 6
2004 14 41 5 - 3 0 44 5
2005 J1 29 2 6 2 3 1 38 5
2006 34 10 10 3 2 1 46 14
2007 30 4 3 0 4 0 37 4
2008 34 4 1 0 1 0 36 4
2009 32 4 3 0 1 0 36 4
2010 27 4 3 1 1 0 31 5
2011 30 4 2 0 1 0 33 4
2012 34 5 2 0 1 0 37 5
2013 29 7 5 2 2 0 36 9
2014 30 3 2 0 0 0 32 3
2015 33 2 6 0 3 0 42 2
2016 31 9 2 0 4 0 37 9
2017 32 6 4 0 2 0 38 6
2018 33 6 2 0 2 0 37 6
2019 20 2 2 0 2 0 24 2
2020 13 2 0 0 1 0 14 2
通算 日本 J1 471 74 53 8 30 2 554 84
日本 J2 75 9 - 6 2 81 11
総通算 546 83 53 8 36 4 635 95
国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2007 川崎 14 7 3
2009 9 3
2010 3 0
2014 8 2
2017 9 1
2018 2 0
2019 3 0
通算 AFC 41 9

指導歴

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  • 2021年4月 - 日本サッカー協会
    • 2021年4月 - 2022年 U-17日本代表 ロールモデルコーチ
    • 2021年8月 - 2022年 U-17日本代表 ロールモデルコーチ/テクニックコーチ
    • 2023年 - U-17日本代表 アシスタントコーチ/ロールモデルコーチ

タイトル

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クラブ

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川崎フロンターレ

個人

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代表歴

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出場大会

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試合数

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  • 国際Aマッチ 68試合 6得点(2006年 - 2013年)[1]


日本代表国際Aマッチ
出場得点
2006 3 1
2007 13 0
2008 13 2
2009 12 2
2010 11 0
2011 4 1
2012 7 0
2013 5 0
通算 68 6

ゴール

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# 開催年月日 開催地 対戦国 勝敗 試合概要
1. 2006年10月11日 インド インドの旗 インド ○3-0 AFCアジアカップ2007 (予選)
2. 2008年6月14日 タイ タイ王国の旗 タイ ○3-0 2010 FIFAワールドカップ・アジア予選
3. 2008年9月6日 バーレーン バーレーンの旗 バーレーン ○3-2
4. 2009年5月31日 日本 ベルギーの旗 ベルギー ○4-0 キリンカップサッカー2009
5. 2009年9月9日 オランダ ガーナの旗 ガーナ ○4-3 親善試合
6. 2011年10月11日 日本 タジキスタンの旗 タジキスタン ○8-0 2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選

出演

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テレビドラマ

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テレビアニメ

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CM

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映画

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PV

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出版

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執筆書籍

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関連書籍

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脚注

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  1. ^ a b c d “中村 憲剛”. サッカー日本代表データベース. http://www.jfootball-db.com/players_na/kengo_nakamura.html 
  2. ^ 漢字表記から「けんごう」と誤読されることがあるが、正しくは「けんご」。
  3. ^ 川崎フロンターレ オフィシャルWEBサイト”. 川崎フロンターレ オフィシャルWEBサイト. 2021年2月22日閲覧。
  4. ^ 永遠のサッカー小僧 中村憲剛物語 (森沢明夫著、講談社)
  5. ^ 飯嶋玲子『キャンパス経由ブラジル行き 大学サッカープレーヤーが語るJ リーグ、そして世界への道』インプレスR&D、2013年、14頁。 
  6. ^ 中村 憲剛”. data.j-league. 2020年4月21日閲覧。
  7. ^ プロサッカー選手 中村 憲剛(けんご)さん 52school.com
  8. ^ 2005Jリーグ ディビジョン1 第20節”. data.j-league. 2020年4月21日閲覧。
  9. ^ 川崎】憲剛、嬉し涙の初V…ACL敗退翌日に吹っ切れた指揮官の言葉-報知
  10. ^ 中村:「チームに貢献できた」 Goal.com 2011.10.12
  11. ^ 中村憲剛、本田圭佑とのトップ下並存へ 背番号14のもたらす効果と課題を考える スポーツナビ 2011.11.13
  12. ^ “名古屋のイ・スンヒ、「1試合の出場停止」は妥当か? 処分は“最低限”も“規定通り”に”. フットボールチャンネル. https://www.footballchannel.jp/2016/07/16/post164032/ 2020年6月29日閲覧。 
  13. ^ 川崎】憲剛、嬉し涙の初V…ACL敗退翌日に吹っ切れた指揮官の言葉-スポーツ報知
  14. ^ 川崎フロンターレが最終節で大逆転の初優勝 J参入19年目で悲願の初タイトル J1リーグ最終節-Goal.com
  15. ^ 昨季JリーグMVPの川崎フロンターレMF中村憲剛、“史上最年長受賞”でギネス認定 Goal.com 2017..10.26
  16. ^ これで歴代トップタイに…“節目の一戦”で2得点、川崎F中村憲剛「だからサッカーはやめられない」 ゲキサカ(2018年5月20日)
  17. ^ 川崎MF中村憲剛が左ひざの前十字靭帯を損傷「復帰に向けて焦らず…」 サッカーキング 2019年11月3日
  18. ^ 復帰戦でいきなりゴール…MF中村憲剛が喜びを噛み締める「等々力って最高だな」”. www.soccer-king. 2020年11月3日閲覧。
  19. ^ 中村憲剛の40歳バースデー弾が“多摩川クラシコ”決勝点!|Jリーグ | Goal.com”. www.goal.com. 2020年11月2日閲覧。
  20. ^ 川崎F・憲剛、史上初40歳誕生日弾!左足で決勝点 J1記録更新で12連勝ゲッツ”. スポーツニッポン (2020年11月1日). 2021年4月25日閲覧。
  21. ^ 【公式】中村憲剛選手 現役引退発表会見 - YouTube”. www.youtube.com. 2020年11月2日閲覧。
  22. ^ 川崎F小林悠「勝手に体が」憲剛のアシスト振り返る”. nikkansports. 2020年12月22日閲覧。
  23. ^ 二冠達成。中村憲剛は川崎の切り札であり監督にとって心強い存在だった sportiva 2021年1月1日
  24. ^ 中村憲剛氏の契約について川崎フロンターレウェブサイト 2021/1/23
  25. ^ ロールモデルコーチとして中村憲剛氏と契約 JFA公式ウェブサイト(2021年04月08日)2021年05月08日閲覧
  26. ^ 中村憲剛はペップ好き 言葉選びも的確いい指導者に”. www.nikkansports. 2020年11月3日閲覧。
  27. ^ 中村憲剛が「背番号14」を好む本当の理由”. 東スポWeb. 2020年10月10日閲覧。
  28. ^ 公式ブログ 2007年6月27日
  29. ^ 志村の来歴に詳しいが志村はGKだった。
  30. ^ a b c ““イクメン”中村憲剛、第3子次女誕生にデレデレ「いやー本当に天使だわ」”. スポーツニッポン. (2016年3月31日). https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2016/03/31/kiji/K20160331012316750.html 2019年12月3日閲覧。 
  31. ^ “子育て雑誌がイクメン日本代表憲剛を取材”. 日刊スポーツ. (2010年8月13日). https://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp0-20100813-665312.html 2023年6月28日閲覧。 
  32. ^ Jリーグ公式チャンネル「トーレスさんがキターーー!!Jリーグをもっと好きになる情報番組「JリーグTV」2019年11月22日」『YouTube』、Jリーグ、2019年11月22日https://www.youtube.com/watch?v=aQ5dboTDn4o2020年6月7日閲覧 
  33. ^ イニエスタ 中村憲剛公式ブログ 2020年5月11日
  34. ^ “ジャスティス”披露の中村憲剛、カメラを意識するも「映っていなかった(苦笑)」 サッカーキング 2017年2月25日
  35. ^ a b 憲剛ゴールパフォに“そっくり芸人”歓喜「ウーイェイ」コラボは時間の問題? スポニチ 2016年3月19日
  36. ^ a b 憲剛、開幕弾で公約通り”ジャスティス”披露 サンシャイン池崎も大興奮 スポニチ 2017年2月25日
  37. ^ a b 川崎F中村憲剛、冷静V弾で本家脱帽のBKBパフォ 日刊スポーツ 2018年8月25日
  38. ^ 岩田千代巳 (2023年5月6日). “中村憲剛氏「名探偵コナン」川崎Fの大島役で“現役復帰”多摩川クラシコとJリーグへの思い語る”. 日刊スポーツ. 2023年5月7日閲覧。
  39. ^ 名探偵コナン 11人目のストライカー”. 金曜ロードSHOW!. 2016年6月11日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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中村憲剛
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