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フォンドメタル

フォンドメタル
Fondmetal S.p.A
種類 株式会社
本社所在地 イタリアの旗 イタリア
ロンバルディア州ベルガモ県パロスコ
設立 1970年(設立者 ガブリエーレ・ルミ)
業種 製造業
事業内容
主要子会社
  • Fondmetal Technologies Srl
  • Aerolab Srl (ダラーラ資本参加)
外部リンク www.fondmetal.com ウィキデータを編集
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Gabriele Rumi

ガブリエーレ・ルミ
生誕 (1939-09-04) 1939年9月4日
イタリアの旗 イタリア
パラッツォーロ・スッローリオ
死没 (2001-05-21) 2001年5月21日(61歳没)
イタリアの旗 イタリア
パラッツォーロ・スッローリオ
国籍 イタリアの旗 イタリア
職業 企業家
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フォンドメタルFondmetal SpA)はイタリアの自動車部品メーカーである。ロンバルディア州パロスコに拠点を置いている。主力事業はアルミホイール製造・販売で、フィアットなど欧州メーカーを中心としてOEM販売なども手がける。また同社は1991年から1992年までF1に参戦していた。

歴史

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フォンドメタルは1970年にガブリエーレ・ルミ[1]によって、パロスコというベルガモにある小さなコムーネに設立された。元々ルミの実家は鋳造業を生業としており、ルミ自身も1908年に彼の祖父によって設立された鋳物製鉄工場の三代目オーナーであった[2][3]。自動車部品の提供を始めたのは二代目のステファノの時代とされている。フォンドメタル設立当初は自動車部品の生産を専業で行っていたわけではなく、主に水道管インテークマニホールド、クラッチベルハウジング、オイルサンプを製作していた。その後顧客の要求に応えて自動車産業用部品の製造に専念するようになっていくが、70年代の石油危機に端を発した緊縮の時代を経てホイールの提供を事業の中心へ据えていった。1980年代にはマセラティ・ビトゥルボのシリンダーヘッド、エンジンブロックなどの製造にも携わっていた[2]

F1

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フォンドメタル F1 SpA
創設者 ガブリエーレ・ルミ
参戦年度 1991 - 1992
出走回数 29
コンストラクターズ
タイトル
0
ドライバーズタイトル 0
優勝回数 0
通算獲得ポイント 0
表彰台(3位以内)回数 0
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
F1デビュー戦 1991年アメリカGP
初勝利 -
最終勝利 -
最終戦 1992年イタリアGP
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1984年オゼッラウィリアムズティレルリジェといったチームにホイールの供給を始めたことでF1の世界に進出。1988年にオゼッラのスポンサーとなった。

1990年

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ガブリエーレ・ルミが資本参加し、1990年にはチーム名が前年までの「オゼッラ・スクアドラ・コルセ」から「フォンドメタル・オゼッラ」に替わる。

1990年末にオゼッラのF1部門の全事業を買収して、パロスコに新しい工場を開設し、フォンドメタル F1 SpA[4]として参戦を開始した[5]

1991年

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ドライバーはオゼッラ時代から引き続いてオリビエ・グルイヤールに加えてルーキーのポール・ベルモンドと契約を結んだが、ベルモンドは実績不足と見なされてスーパーライセンス発給が見送られたため、グルイヤールでの1台体制となった。だが、第14戦でAGSガブリエル・タルキーニとのトレードが行われ、以後はタルキーニが乗った[6]。シーズンを通して予備予選で苦戦が続き、決勝進出は6戦にとどまる。

使用車輛は、第2戦までは暫定で前年型のオゼッラ・FA1Mの改良型のFA1M-Eが使用され、4月28日のサンマリノグランプリロビン・ハードフォメットF1が投入され、翌年7月12日のシルバーストンまで使用される。これは、ビスターの倒産したマーチ敷地内(Murdock Rd[7], Telford Rd[8])の フォメット1社で設計製造された[5]

結果の出ないシーズンを送り、フォメットとフォンドメタルの間には亀裂が生じた。ルミはフォメットとのコラボレーションを終了することとした。フォメットはヴェンチュリーによって買収されヴェンチュリーUKと改名、既に開発していた1992年用の車両はヴェンチュリー・LC92としてラルースが使用した。フォンドメタルはセルジオ・リンランド率いるアスタウトと1992年の車両を開発することを発表した[5]

1992年

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アンドレア・キエーザ1992年モナコグランプリでドライブするGR01

スポーティングレギュレーションの変更ですべてのチームに2台エントリーが義務付けられたことから、ドライバーにタルキーニと新人アンドレア・キエーザの2人を起用した。前年の成績によりタルキーニは前半戦の予備予選を免除された。

前年のフォードワークスエンジンであるフォード・コスワース・HBエンジンを獲得し、出力は100馬力増加した[9]。開幕より序盤は前年型のマシンに搭載、GR01として出走。第7戦カナダGPからは、セルジオ・リンランドがデザインしたニューマシンGR02を投入した。これは、同年用のブラバムBT61として設計が開始されたマシンで、チーム事情からデビューできなかったマシンだった[5]

フォードHBエンジン獲得もありタルキーニが時折中上位のグリッドを獲得するなど速さを見せたが、資金不足から信頼性が上がらず完走もままならない状況が続いた。無得点のため後半戦はタルキーニも予備予選組に戻された。第11戦ハンガリーGPからは、キエーザに代えてブラバムからエリック・ヴァン・デ・ポールが移籍した。

ブラバムの多くの設計スタッフで構成された、アスタウトでのシャシーの開発に、かなりの予算を割いた。

買収して続けるには、残念ながら、チーム運営費総額が非常に高額であることが判明し、十分な商業的支援を見つけることができなかったため、ルミは借金を負うのではなく、チームを閉鎖することにして、第13戦イタリアGPをもっての撤退を決断した[5]

サプライヤー フォンドテック

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チームを失った翌1993年、ルミはゴヴォーニ社から、カズマロのゴヴォーニ風洞[5]を買い取って、関連会社として、ジャン=クロード・ミジョーを引き抜いて、技術開発会社(イタリアで最初の、レースカー風洞試験用の空気力学R&Dセンター)のフォンドメタル・テクノロジーズ社(Fondmetal Technologies、略称:Fondtech)を設立し、その運用全てを任せた。

空力ファームによるテクニカル・サポート・サービスという、下請けの形を以て、F1との関わりを継続した。

Fondmetal sponsored Tyrrell-023 in 1995
Mike gascoyne driving a Tyrell f1 car in Boss GP series (1999) with Rumi's wallet

1994年から1996年まではティレルと、1996年から1998年ベネトンと技術提携を結んだ。

ティレルには空力スタッフとしてジャン=クロード・ミジョー本人が出向き、カズマロ風洞[5]を活用してティレルの空力開発全般を率いた。

Mike Gascoyne
profile (2011)
生誕 (1963-04-02) 1963年4月2日(61歳)
Norwich, England
職業 CEO of MGI Consultancy[10]
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マイク・ガスコイン (1990年代略歴)

1989年、26歳でマクラーレンの風洞オペレーターとして、遅咲きのキャリアをスタート。

1990年、ティレルに加入し、クロード・ミジョーコンセプトの019のトラックサイドでの開発に携わり、ポスルスウェイトに認められる。

1991年、ポスルスウェイトに従って、ザウバーF1参戦に向けたC12の設計・開発に関わり、

1993年シーズン、空力チーフとしてレースに帯同し、トラックサイドでC12を開発。

1993年後半、フェラーリ(F92A改修F93A)経由で、チームの共同オーナーとしてティレルに復帰したボスからの招致で、

翌1994年からポスルスウェイトの副テクニカルディレクター。

ハーベイ・ポスルスウェイトジャン=クロード・ミジョーマイク・ガスコインの、この3名は師弟関係にある。この後ガスコインがフォンドテックの風洞サービスに強く関与することになる。

1997年以降

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フォンドメタル社サイトには、「1997年、フォンドメタルはミナルディF1チームの株式の過半数を取得した。」[11]とある。

ことは多少入り組んではいるが、これにはフラビオ・ブリアトーレが絡んでいる。

1996年末に、ミナルディチームはイタリアのビジネスマングループによって買収される。

フラビオ・ブリアトーレガブリエーレ・ルミアレッサンドロ・ナニーニを含む国際的なビジネスマンのコンソーシアムが、チーム株70%を管理する持ち株会社となる。

ブリアトーレの思惑は、ミナルディチームをBATに売り付けることにあったというが、この試みは1997年11月にティレルが売れて挫折し、ブリアトーレのコンソーシアムのコントロールは、ルミに取って代わられ、ミナルディF1チームの株式の過半数をルミがコントロールできる状況になる。

1997年からはルミがミナルディF1チームの株式の過半数を取得し、共同オーナーを務めた。というその裏側には、ブリアトーレとのシーソーゲームがあり、それは、2000年に再燃し、フェルナンド・アロンソのF1デビューを絡めたテレフォニカへの転売企画が死期の迫ったルミをたいそう悩ませた。

1998年からの3年は、ルミはミナルディF1チームの保護者になり、フォンドテックの空力サービスを持ち込み (1999年 - 2000年)[11]、1998年から始めたコスワースエンジンの自社リビルトプロジェクトでの、フォンドメタルバッジネームエンジンの搭載 (2000年)[11]など目を見張る挑戦ではあったが、2001年2月4日に、コンソーシアムの所有していた株式を取りまとめてポール・ストッダートに衣鉢を引き継ぎ、程なく死去した。

レースのタイムライン

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レースのタイムライン[11]
1983 フォンドメタル社 フォーミュラ1世界選手権向けに初のマグネシウムモノブロックホイールを発表
1984 フォンドメタル社 オゼッラF1チームの公式サプライヤーとなる
1986-1992 フォンドメタル社 F1世界選手権で3勝したウイリアムズF1チームの公式サプライヤーとなる
1990-1992 フォンドメタル社 独自のチームフォンドメタルF1でフォーミュラ1世界選手権に参加
1993 フォンドメタル社 空気力学者のジャン=クロード・ミジョーの協力により
イタリアでレースカーと風洞試験のための最初の空気力学R&Dセンターが誕生
(フォンドメタル・テクノロジーズ社 = フォンドテック)
1994-1995 フォンドテック ティレルが、レースカーの空力研究と開発を委託
1996-1998 フォンドテック ベネトンが、レースカーの空力研究と開発を委託
1997 フォンドメタル社 ミナルディF1チームの株式の過半数を取得し、ガブリエレ・ルミが指揮
1999-2000 フォンドメタル社 コスワースから、資格のあるエンジニアのサポート下に施設を利用する権利を購入し
フォンドメタルV10と名付けた、自チームが使用するV10エンジンをオーバーホール構築
1999-2000 フォンドテック ミナルディF1チームが、レースカーの空力研究と開発を委託
2001-2006 フォンドテック (新風洞の完成に伴い) ルノーF1の2番目の空力開発チームとなる R202[12]
ルノーと共にフォーミュラ1世界選手権(2005年と2006年)で2度優勝
2003-2009 エアロラボ フォンドテックの子会社として設立 (Aerolab) (ダラーラの資本参加、2009年資本参加解消)
2003-2006 エアロラボ (風洞完成に伴い) トヨタF1の2番目の空力開発チームとなる (トヨタはさらに新風洞を建設)
2007-2009 エアロラボ スパイカーF1(2007年)の空力開発チーム (2008年にフォース・インディア)
2010-2012 エアロラボと
フォンドテック
2012年にケータハムF1となる
チーム・ロータス(2010–2011)のF1レースカーの空力開発を独占

2001年以降

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2003年、FondTechとダラーラ・アウトモビリの合弁会社「Aerolab」の設立(サンターガタ・ボロニェーゼ)

これは、FondTechによる増設計画に、ダラーラが資金提供したもので、2004年に新トンネルの開通[13]

2009年からFondTechの所有となる[14]

クライアント 風洞 マイク・ガスコイン職歴
2001-2006 ルノーF1 フォンドテック 2番目の空力開発チーム 2001-2003 ベネトン / ルノー
ルノーとともに、F1世界選手権(2005年と2006年)で優勝
2003-2006 トヨタF1 エアロラボ 2番目の空力開発チーム 2004-2006.04 トヨタ
2006 (ニック・ワース) FIA フォンドテック CDG wing conceptの空力開発
2007 スパイカーF1 エアロラボ 空力開発チーム 2006.09-2007 スパイカー
2008-2009 フォース・インディア エアロラボ 空力開発チーム 2008-2008.11 フォース・インディア
2010-2012 チーム・ロータス エアロラボ+フォンドテック 空力開発のための唯一のチーム 2009-2012 ロータス
2012- ケータハムF1 エアロラボ+フォンドテック 空力開発チーム 2012- ケータハム

変遷表

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エントリー名 車体型番 タイヤ エンジン 燃料・オイル ドライバー ランキング 入賞数
1990年 フォンドメタル・オゼッラ FA1M89,FA1ME P フォードDFR Agip オリビエ・グルイヤール 10 0
1991年 フォンドメタル F1 SpA FA1ME,Fomet F1 G フォードDFR Agip オリビエ・グルイヤール
ガブリエル・タルキーニ
17 0
1992年 フォンドメタル F1 SpA GR01,GR02 G フォードHB5 Agip ガブリエル・タルキーニ
アンドレア・キエーザ
エリック・ヴァン・デ・ポール
15 0
1998年 ミナルディ・チーム M198 B フォード
ZETEC-R P6
中野信治
エスティバン・トゥエロ
10 0
1999年 フォンドメタル・ミナルディ
・フォード
M01 B フォード
ZETEC-R VJ
ルカ・バドエル*
マルク・ジェネ
ステファン・サラザン (第2戦)
10 1
2000年 テレフォニカ・ミナルディ
・フォンドメタル
M02 B フォンドメタル
ZETEC-R VJ
マルク・ジェネ
ガストン・マッツァカーネ
10 0

脚注

[編集]
  1. ^ Brown, Allen. “"ガブリエーレ・ルミ"”. OldRacingCars.com. 2022年8月16日閲覧。
  2. ^ a b Fondmetal S.p.A. / History (fondmetal.com)”. web.archive.org (2017年5月21日). 2022年8月16日閲覧。
  3. ^ Fondmetal S.p.A. / Company”. www.fondmetal.com. 2022年8月16日閲覧。
  4. ^ コンストラクター名称”. オリビエ・グルイヤール公式サイト. 2022年8月16日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g "フォンドメタル F1 SpA" - コンストラクター”. www.grandprix.com. 2022年8月16日閲覧。
  6. ^ フォンドメタルとAGSでドライバーを交換 F1GPX 1991スペインGP号 30頁 山海堂 1991年10月19日発行
  7. ^ 地図 Murdock Rd, ビスター, UK”. google maps. 2022年8月16日閲覧。
  8. ^ 地図 Telford Rd, ビスター, UK”. google maps. 2022年8月16日閲覧。
  9. ^ Fondmetal - Profile (f1rejects.com)”. web.archive.org (2013年3月21日). 2022年8月16日閲覧。
  10. ^ MGI Consultancy”. 8 November 2018時点のオリジナルよりアーカイブ。3 April 2020閲覧。
  11. ^ a b c d モータースポーツに関連する略歴”. www.fondmetal.com. 2022年8月16日閲覧。
  12. ^ Renault launches the new R202 - 4つの風洞を使用”. grandprix.com. 2022年8月16日閲覧。
  13. ^ Saward, Joe (2010年6月1日). “The new tunnel was opened in 2004, FondTech2 wind tunnel was opened in 2007”. joeblogsf1. 2022年8月16日閲覧。
  14. ^ イタリア語版

参考文献

[編集]

関連項目

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外部リンク

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