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北近畿

日本 > 近畿地方 > 北近畿
北近畿のデータ
北近畿9市4町の合計
日本の旗 日本
面積 4,712.79km2
推計人口 470,484
(2024年6月1日)
人口密度 99.8人/km2
(2024年6月1日)
位置
北近畿の位置。 拡大

北近畿(きたきんき)は、近畿地方日本海側を指す地域名。広義では若狭地方山陰地方の一部に含まれることがある。

概要

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天橋立
竹野浜猫崎
湯村温泉
小浜市蘇洞門

京都府北部兵庫県北部(広義では福井県嶺南)を指し、令制国では丹波国の北半、丹後国但馬国(広義では若狭国越前国敦賀郡)にあたる。

一般的には、亀岡市南丹市船井郡京丹波町南丹または口丹と呼ばれる地域)や丹波篠山市など、京阪神との繋がりが強い丹波国の南半にあたる地域[1] は北近畿には含まれない。しかし、より広義な北近畿の範囲では丹波篠山市や福井県南部(嶺南)を含める場合もある。例えば、北近畿開発促進協議会には福井県南部(嶺南)の自治体も参加しているほか、北近畿広域観光連盟においても福井県南部(嶺南)と丹波篠山市が参画する[2]

北近畿は、山陰海岸国立公園城崎温泉日本三景の一つ天橋立などの名勝を抱えており、夏には海水浴を、冬にはカニ料理を目的とした観光客が多く訪れている。京都府北部と兵庫県北部の自治体は、観光事業の促進のために北近畿広域観光連盟を結成している。

また、福井県南部(嶺南)は、滋賀県湖北湖西地域の自治体で構成される福滋県境交流促進協議会に参加している。

地理

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気候

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日本海に面しており、気候は日本海側気候が見られるが、冬のは山間部を除いて北陸程は多くはなく、の日が比較的多い。このため、「弁当忘れても傘忘れるな」という格言が存在する。

地形

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歴史

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古代

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古代の北近畿には、旦波(丹波)など地方王国が分立していた。これらの地方王国は、北陸越国)や山陰因幡国出雲国など)や北九州筑紫国末盧国など)の地方王国と共に、日本海沿岸の一大勢力を築いていた。その中でも旦波は、のちのヤマト王権に並ぶ独立性を持っていたとする説(丹後王国論)があるように、大陸との交易により力を備えていたと考えられている。伊勢神宮が現在の伊勢市に移る前には、元伊勢大江山の近くに鎮座していた。奈良盆地ヤマト王権が勢力を拡大すると、北近畿の地方王国はヤマト王権に恭順し、北近畿はヤマト王権の北の入口となった。旦波は、丹波国丹後国但馬国に三分割され、丹波国府は元伊勢から離れた場所で、山城国に極めて近い亀岡に置かれた。

戦国時代から江戸時代

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戦国時代には、守護の細川氏が弱体化した丹波地方にはかつての細川氏の被官であった国人領主がそれぞれ割拠した。若狭・丹後地方は守護の若狭武田氏と旧守護の一色氏が抗争をつづけたものの共に内紛により弱体化していった。畿内において織田信長が台頭し政治の実権を握るとそれらの勢力は駆逐され、信長の配下の丹羽長秀明智光秀細川藤孝などが北近畿を支配するようになる。本能寺の変で信長が斃れると、代わって台頭した豊臣秀吉により光秀は倒され長秀と藤孝は臣従し、北近畿は豊臣政権の支配の下に再配分された。秀吉没後の関ヶ原の戦いにおいては、北近畿は田辺城の戦いなど激戦地域の一つとなる。

江戸時代に入ると、北近畿には、宮津藩丹後田辺藩福知山藩綾部藩篠山藩豊岡藩出石藩といった小さなが分立した。杞柳(こりやなぎ)製品から始まった豊岡綾部紡績業といった地場産業には、この時期に興った物もある。

明治時代

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江戸幕府が倒されて明治政府が誕生すると、廃藩置県によって、豊岡県が誕生する。しかし、1876年8月21日には、豊岡県は廃止され、山陽道沿線や中山道沿線の府県に編入された。

富国強兵政策が執られた明治時代には、いままで寒村であった東舞鶴舞鶴市東部)に舞鶴鎮守府が設置され、日本海沿岸の一大軍事拠点となり、軍都として急速に発展し、日本海側有数の都市圏を形成することとなった。これと前後して、大阪京都敦賀から舞鶴に向けての鉄道が敷設され、北近畿にも鉄道の敷設が進められた。

戦後

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第二次世界大戦後には、特に高度経済成長期に太平洋ベルトから漏れたため、北近畿でも過疎化した地域が見られるようになった。しかし、現在では舞鶴若狭自動車道の整備や、京都府が主導する工業団地の建設などが進められている。

産業

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工業団地

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京都府
兵庫県
  • 豊岡中核工業団地

特産品

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交通

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交通の現況

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鉄道は山陰本線福知山線舞鶴線及び小浜線のJR線及び京都丹後鉄道の路線がある。

高速道路は整備が遅れていたが、現在は舞鶴若狭自動車道敦賀方面と阪神方面を、京都縦貫自動車道京都方面を貫いている。山陰近畿自動車道鳥取方面を貫くべく建設中である。また、北近畿豊岡自動車道が舞鶴若狭道春日IC・JCTより分岐し、和田山IC播但連絡道路と連絡している。

港湾に関しては、京都府内にある舞鶴港が日本海沿岸の各地とつながる国内流通、及び韓国ロシアなどとの環日本海貿易拠点として、近畿地方全体でも重要な地位を決めている。舞鶴港では商港として発展してきた西舞鶴地区と、日露戦争時の帝国海軍に由来する軍港の歴史を持つ東舞鶴地区とが併存してきたが、近年では海上自衛隊舞鶴基地に加えてフェリーターミナルも東舞鶴地区に整備されている。

航空網については兵庫県豊岡市に但馬飛行場(コウノトリ但馬空港)があり、大阪国際空港(伊丹空港)との間で定期便が毎日運航されているが、国内の他空港と比較した利用客数は少なく、地域自治体が求めている東京国際空港(羽田空港)との直行便も実現していない。北近畿地方との空路の往来では、京阪神地区内の大規模空港である大阪国際空港や神戸空港、それに兵庫県北西部に隣接する鳥取県鳥取市の鳥取空港の利用でもその利便性が維持される。

鉄道

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道路

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高速道路
国道

文化

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方言

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奥村三雄が1968年に発表した区分案[3]。中近畿式方言()と外近畿式方言に大分し、中近畿式方言を「いわゆる関西弁」としている。外近畿式方言をさらに北近畿式方言()・西近畿式方言()・南近畿式方言()・東近畿式方言()に細分している。京都対大阪の違いよりも、大阪対播磨や京都対伊勢の違いを重視している。但馬北部・丹後西部・紀伊半島の一部は近畿方言から除外している()。

近畿方言内での方言区画には様々な案が提唱されているが、自然地理的・文化的条件を考慮しつつ、京阪からの距離を考えて区画されることが多い(方言周圏論的)。すなわち、京阪とそれを取り巻く近畿中央部(大よそ半径50km圏内[4][3])ほど一般に近畿方言的とされる特徴を多く備え、京阪から離れた周辺部(北近畿紀伊半島など)ほど他の近畿方言との違いが大きくなる一方で古い言語状態を保っている。

兵庫県但馬但馬弁)と京都府丹後西部(丹後弁)は、行政上は近畿地方であるが、方言においては東京式アクセントであるなど違いが大きく、中国方言に分類される。また紀伊半島で特に山岳が険しい奈良県奥吉野言語島として有名で、近畿方言的な特徴がほとんど現われない[5]。経済活動や広域放送などの面で中京圏に含まれる三重県に関しては、愛知県との県境付近の揖斐川にアクセントなどの言語境界が走り、奥吉野などよりも遥かに京阪方言に近く、近畿方言に含まれる[6]

近畿地方の主要都市である大阪・神戸・京都の方言を比較すると、音声上はアクセントが僅かに違う(大阪・神戸の「行きました」と京都の「行きました」など)程度で、問題とされやすいのは語法上の違いである。とりわけ「どす」と「だす」など京阪の違いがよく対比され、近畿中央部の方言を京言葉圏と大阪弁圏に二分する考え方もある(後述)。しかし、アスペクト(継続と完了の区別の有無)の点では神戸と京阪の間に著しい違いがある。

各方言の詳細は各項目を個別に、周辺の他方言との比較については日本語の方言の比較表を参照。

下位方言

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脚注

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  1. ^ これらの地域はおおよそ桂川(大堰川)加古川といった瀬戸内海に注ぐ水系に含まれる。
  2. ^ よくあるお問い合わせと回答”. 京都府. 2017年11月23日閲覧。
  3. ^ a b 奥村三雄「関西弁の地理的範囲」『言語生活』202号、1968年。井上ほか編 (1996)にも収録(60-69頁)。
  4. ^ 楳垣実「近畿」『国文学解釈と鑑賞』「方言の日本地図」号、1954年。
  5. ^ 飯豊・日野・佐藤編 (1982)、117-124頁。
  6. ^ 井上ほか編 (1996)、63頁。

関連項目

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外部リンク

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北近畿
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