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パソコン雑誌

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パソコン雑誌(パソコンざっし、: computer magazine(s))、もしくはパソコン・PC 雑誌[1][注釈 1]は、パーソナルコンピュータ(PC)類に関する様々な情報を提供する雑誌総称である。かつては「マイコン雑誌[注釈 2]」と呼ばれていたこともあった。

概要

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英語圏では近年では、単に「computer magazine コンピュータ雑誌」と呼ぶことが一般的。もともとはpersonal computerという言葉はPCとも略され、PC magazine(s)という言葉は純粋に普通名詞でPC雑誌類をまとめて指すための総称としても一応は使えていたのだが、1981年にIBM PCが販売されるようになってから、PCという普通名詞がIBM PCという固有名詞・商号と衝突しはじめ、さらに1982年にPC Magazineという雑誌が創刊されて固有名詞として使われるようになってしまったので、その特定の雑誌を指していると誤解されるのを避けるため、英語ではそれ以降、特にパーソナルコンピュータに焦点をしぼり扱っている雑誌でも、かなり漠然とはしているが、computer magazineと呼ぶのが一般的となっている。一方、日本では一般名詞と衝突する名称の雑誌は発行されなかったので[注釈 3]、パーソナルコンピュータの雑誌という意味で「PC雑誌」と呼ぶことは普通に行われている。

パーソナルコンピュータに関する情報を中心に扱っているものを日本では「パソコン誌」や「パソコン・PC雑誌[1]」などとカテゴライズして呼んでいる。なお「パソコン・PC」と謳っていても、パーソナルコンピュータに興味がある読者の中には、周辺の情報にもそれなりに興味がある人、たとえば、かつては大型コンピュータスーパーコンピュータ組み込みシステム、近年では各種携帯端末タブレットスマートフォンあるいはRaspberry PiArduinoなどのシングルボードコンピュータ等々の情報にもそれなりに興味がある人は多いので、それらの情報もそれなりの量を扱っていることは多い。その配分は各雑誌ごとに異なる。程度としては、入門者向け、マニア向け、専門家向け、など様々なものがある。

発行形態は、かつては紙の印刷の形ばかりで、月刊であったり隔月刊や季刊であったりしたが、その後、週刊や月2回刊などというものも登場し、インターネットが普及してからはe-mailという形で発行されるものも一部に登場した。現在では紙での発行に加えて、登録制の有料のweb公開、オンラインでの一般公開(広告収入やタイアップ方式)など、様々な刊行形態がある。

歴史

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1966年には「ACS Newsletter」という会報が創刊された。ACSというのは「Amateur Computer Society」の略で、つまりアマチュア・コンピュータ・会という意味である。これが世界で最初の、アマチュアによるコンピュータ情報誌だとも言われている[2]

1972年には、People's Computer Company Newsletterというもの(以下、PCCNと略す)が発行されはじめた。発行元のPeople's Computer Companyというのは、1970年代初頭にデニス・アリソン英語版ボブ・アルブレヒト英語版、ジョージ・ファイアドレイク(George Firedrake)らによってカリフォルニア州メンローパークで設立された会社である。デニス・アリソンという人物はコンピュータ・サイエンスの専門家でスタンフォード大学で講師として勤務しており、1975年には、メモリー使用量が少ないBASICのための仕様を記述した人物である(この仕様定義が後にTiny BASICとなった)。そのデニス・アリソンは、1975年にPCCNにおいて自身のTiny BASICに関するさまざまな成果を公表した。ボブ・アルブレヒトのほうは、修士課程を途中で止めてハネウェル社の航空部門で勤務しはじめ、会社がコンピュータ市場にも参入したのでそれにかかわるようになり当時のフライトシミュレータなどを扱いIBM 650も使ったという人物で、このボブ・アルブレヒトがPeople's Computer Company(PCC)を設立し、PCCN誌を発行するようになったわけでありそこにデニス・アリソンも加わったわけである。

なお、アルブレヒトはAltair 8800(世界初のパーソナル・コンピューターとも評される代物)についてレビュー記事をPCCNに掲載するため、ホームブリュー・コンピュータ・クラブ[注釈 4]に、そのAltair 8800を持ちこんだ。1975年3月15日には、ホームブリュー・コンピュータ・クラブの方でも会報の創刊号が発行された。それは形を変えつつ、1977年12月の21号まで続いた。日本でも1976年に星正明が『I/O』を創刊した。

日本のパソコン雑誌

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黎明期

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日本でのパソコン雑誌の黎明期は1976年に星正明が『I/O』(工学社)を創刊したことに始まると言える。そして、そこからスピンアウトした西和彦が1977年に『月刊アスキー』(アスキー出版)を創刊、同1977年に『月刊マイコン』(電波新聞社)、1978年に『RAM』(廣済堂)が創刊され、初期の4大総合誌が出揃っている。

国産初のパソコンとされる日立のベーシックマスターや、シャープのMZ-80Kの発売は1978年であり、それ以前の誌面に国産パソコンが登場することはなかった。現在でこそパソコン雑誌と呼ばれてはいるが、初期には必ずしもパソコンに関するトピックだけを取りあげていたわけではないのである。Apple IIやPET2001など海外のパソコンは1977年に発売されているが、日本ではその所有者は非常に限られた数であり、初期には読者の多くがパソコンを所有していなかった。また、この頃にはまだパソコンという言葉はなく、マイコンと呼ばれていたため、パソコン雑誌という言葉自体もなかった。

この時期の雑誌はハードウェアに関する記事、プログラムのリスト、アルゴリズムの研究などが紙面の中心であった。市販ソフトウェアはまだまだその数は少なく、紹介記事もそれほど多くはなかった。この頃にはまだパソコンのビジネス利用も一般的ではなく(NECのPC-9801発売は1982年10月)、パソコンは基本的に趣味の分野であった。多くの読者が、雑誌に掲載されたプログラムリストやダンプデータを直接打ち込んで、ゲームなどを楽しんだりしていた。また掲載プログラムをカセットテープ通信販売するサービスも行われ、人気を博した。

発展期

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パソコンを発売するメーカーが急速に増えた頃から、パソコン雑誌の発行部数も伸び、広告が増加したため分厚くなっていった。また、当時日本国内のパソコンは、各メーカー毎に独自のアーキテクチャであり、日本ソフトバンクによって『Oh!PC』『Oh!MZ』『Oh!FM』などの機種別雑誌が発行された(1982年頃)。少し遅れて、主としてビジネス利用向けの『日経パソコン』(日経BP社)、プログラム投稿に重点を置いた『マイコンBASICマガジン』(電波新聞社)、『TheBASIC』(技術評論社)、『PiO』(工学社)なども創刊された(1983年)。

この頃には、ソフトウェアは自分で開発したり、プログラムリストを打ち込んだりするものから、徐々に市販品を購入したり、フリーソフトを導入したりするものとなってきた。パソコン雑誌はこのようなソフトウェアの紹介をしたり、フリーソフトを収録したフロッピーディスクを綴じ込み付録とするようになった。また、ソフトウェア開発者を主な対象とする雑誌(『C MAGAZIN』(ソフトバンク)、Dr.Dobb's Journalなど)の創刊はこの頃である。『LOGiN』のように、技術情報誌から娯楽誌へと路線変更する雑誌もあり、多様化も進んでいった。

1995年Windows 95が発売されると、パソコン利用者層の裾野が大きく広がることになり、初心者を対象に平易な表記を心がけた雑誌が登場するなど、パソコン雑誌の最盛期を迎える。またWindows 95によって、それまでより手軽にネットへの接続ができるようになったことにより、パソコン通信情報誌『月刊パソコン通信』(エーアイ出版)、『Networker Magazine』→『Networks』(アスキー)、『 ネットピア』(学習研究社)や、インターネット情報誌『Internet Magazine』(インプレス)、『OPENDOORS』(朝日新聞社)などが創刊された。雑誌の付録も、フロッピーディスクから容量の多いCD-ROMに変わった。

衰退期

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パソコン雑誌は、いちはやくインターネットを誌面で取り上げていたが、皮肉にもそのインターネットの普及により、パソコンに関する情報を得る手段はパソコン雑誌からインターネットに取って変わられることになった。雑誌に載るような情報の多くがインターネット上でより早く無料で入手できるようになり、パソコン雑誌の役割は一部の読者向けを除きほとんど失われたと言える。その結果、ただでさえ不況による雑誌の売上げが激減している中で、多くのパソコン雑誌はますます読者を減らすことになった。

また、不況の影響により企業からの広告の出稿が減り、読者が減ることでさらに広告が減るという悪循環も生じた。 パソコン雑誌に限らず、多くの雑誌は雑誌そのものによる売上げと企業からの広告出稿によって利益を得ているため、この状況下では経営が成り立たず、多くのパソコン雑誌が休刊に追い込まれることとなった。もっとも、これはパソコン雑誌に限らず、出版不況と言われる状況で他分野の雑誌にも言えることである。

この他、雑誌巻末部分などに積極的に広告を出していたパソコンショップが規模の大小問わず大型家電量販店による淘汰に呑まれ、業界自体のレガシービジネス化が進んだ事による広告料収入の激減も衰退原因の一つに挙げられる。また、ブロードバンド時代の到来により、付録CD-ROMによるソフトウェアの配布についても、時間やコストを掛けずに入手可能となったことにより、ナローバンド時代ほどの需要を見いだせなくなり、衰退に拍車を掛けた。

Windows 95登場の頃から激増した「パソコンマニアではない普通のパソコン利用者」が消費者層に大きく食い込んできた事により、読者に占めるエンドユーザーの割合が激増し、プログラミング中心の雑誌も存在が埋没、やがて出版社から見切られて休刊・廃刊が相次いだ。また、ゲームソフト関連のマニア、いわゆるゲーマー傾向の強い読者層のパソコン雑誌離れも早い時期に起こった。パソコンOSのGUI化が普及するよりも早く、家庭用ゲーム機は飛躍的に性能や機能が向上した。ゲームソフトのクォリティは、パソコンのものよりも、いわゆるコンシューマ・ゲーム機の方が高くなり、ゲーム雑誌と呼ばれる雑誌が続々と創刊された。

これらの状況のため、パソコン雑誌を中心とする出版社は経営難となり、エクスメディアなどのように経営破綻や、アスキーがアスキー・メディアワークスに救済合併されるなど、が進んでいる。なお1990年代末から2000年代にかけて、パソコン雑誌を出自としたIT系ニュースサイトが出版社によって設立され、雑誌と並行してウェブメディアを運営する動きもあらわれ、雑誌という形態にとらわれずに生き残る方法を模索する試みも行われた。また「iNTERNET magazine」(インプレス)・「PC USER」(ソフトバンク 出版事業部)などのように、休刊時に雑誌を自社のウェブメディアに統合する動きもあった。

メディア媒体

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雑誌

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Windows 95の発売により、パソコンは一般家庭に広がり、パソコン雑誌は、内容、読者とも、多様な広がりを見せるようになった。いわゆる初心者向け、オフィスワークを念頭においたMS-Officeの特集を中心としたもの、ソフトウェア開発者向けにプログラミングのノウハウを中心としたもの、システム構築を扱ったもの、新発売のハード・ソフトをいち早く紹介してそれらを読者が購入する際の情報源となるもの、果てはオンラインソフトウェアを大量に収録して購買に結びつけるものもある。

また、扱うOSもWindowsから、MacintoshLinuxなど、Windowsでもコンシューマー向けのバージョンから企業向けのサーバ用バージョンのものまで、利用者のニーズにあった雑誌が作られてきた。また、一部雑誌は各種ソフトウェアを収録したCD-ROM、あるいはDVD-ROMをつける雑誌もあり、これが読者の購買意欲を煽ると共に、ソフトウェアの流通を促してきた。

刊行中(定期刊)

ウェブ

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海外のパソコン雑誌

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アメリカ

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この節の加筆が望まれています。 (2021年3月)

ヨーロッパ

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この節の加筆が望まれています。 (2021年3月)

脚注

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注釈

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  1. ^ かつてはPC magazine(s)と呼んでいた人たちもいたが、1982年にPC Magazineという雑誌が創刊されてこの名詞が固有名詞化してしまったので、その特定の雑誌を指していると誤解されるのを避けるため、英語では現在、漠然とはしているが、computer magazineと呼ぶのが一般的。記事本文で説明。
  2. ^ 「マイコン雑誌」と呼ばれていた雑誌群が、ある日突然そう呼ばれることが廃止され「パソコン雑誌」と呼ばれるようになったわけではない。10年や20年という時間をかけて、いつのまにか、じわじわと、「マイクロコンピュータ」や「マイコン」という言葉が使われる頻度が減っていって、もともとはどちらかと言うと「マイコン雑誌」などと呼ばれることが多かった雑誌群が、いつのまにか、もっぱら「パソコン雑誌」や「PC誌」などと呼ばれるようになっていった。
  3. ^ PCマガジン」(ラッセル社)という雑誌が発行されていたが、日本においては「PC」も「マガジン」も一般名詞として認識されることはなく問題にならなかった。
  4. ^ ホームブリュー・コンピュータ・クラブは、パーソナルコンピュータ黎明期にそれに興味を持っていた少数の人々が集まる場で、後のコンピュータ革命を引き起こすきっかけをつくった会、今や伝説的存在となった会である。1976年には、PCCNのデニス・アリソンによるTiny BASICなどに関する記事やボブ・アルブレヒトによる記事は『Dr. Dobb's Journal』という名の月刊誌の形で発行されるようになった。

出典

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  1. ^ a b [1]
  2. ^ [2]

関連項目

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パソコン雑誌
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