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高波 (駆逐艦)

艦歴
計画 1939年度(④計画
起工 1941年5月29日
進水 1942年3月16日
就役 1942年8月31日竣工
その後 1942年11月30日戦没
除籍 1942年12月24日
性能諸元
排水量 基準:2,077t
公試:2,520t
全長 119.3m
全幅 10.8m
吃水 3.76m
主缶 ロ号艦本式缶3基
主機 艦本式タービン2基2軸 52,000hp
最大速力 35.0kt
航続距離 18ktで5,000浬
燃料 重油:600トン
乗員 225名
武装(新造時) 50口径12.7cm連装砲 3基6門
25mm機銃 II×2
61cm4連装魚雷発射管 2基8門
九三式魚雷16本)
爆雷×18乃至36

高波(たかなみ)は、大日本帝国海軍駆逐艦[1]夕雲型駆逐艦(一等駆逐艦)の6番艦である[2]。艦名は高波に由来し、海上自衛隊護衛艦に継承された。

概要

駆逐艦高波(たかなみ)は、日本海軍が太平洋戦争で運用した一等駆逐艦である[3]。夕雲型駆逐艦の6番艦。浦賀船渠で建造され、1942年(昭和17年)8月末に竣工した[4]。沖輸送[5]に参加してソロモン諸島へ進出中の10月1日、第二水雷戦隊(司令官田中頼三少将)麾下の第31駆逐隊に編入された[6]。第31駆逐隊の姉妹艦(長波、巻波)と合流後、ただちにガダルカナル島の戦いに投入される。高波は二水戦を含む外南洋部隊(第八艦隊)増援部隊各艦と共に鼠輸送(駆逐艦輸送)、ヘンダーソン基地艦砲射撃南太平洋海戦第三次ソロモン海戦に参加した[4]。 11月30日、田中少将指揮下の外南洋部隊増援部隊(長波〈二水戦旗艦〉、高波、巻波、親潮、黒潮、陽炎、江風、涼風)としてガダルカナル島への輸送作戦に従事中、米艦隊と交戦して高波は撃沈された[4]ルンガ沖夜戦[7]

艦歴

竣工まで

1939年度(④計画)仮称第121号艦として浦賀船渠で建造[8]。1941年(昭和16年)の段階で日米戦争が始まらなければ、昭和17年度の戦時編制で第六航空戦隊(特設航空母艦3、第31駆逐隊〈長波巻波高波大波〉)に所属する予定だった[9][10]

1942年(昭和17年)1月20日、建造中の秋月型駆逐艦3番艦に涼月、夕雲型駆逐艦6番艦に『高波』の艦名が正式に与えられた[1]。同日附で夕雲型駆逐艦に類別される[11]3月16日午後4時30分[12]、横須賀鎮守府長官平田昇中将立ち合いの元で高波は進水した[13][8]。 7月24日、浦賀船渠の高波艤装員事務所は事務を開始した[14]。 7月25日附で小野四郎少佐(当時、駆逐艦山雲駆逐艦長)は高波艤装員長に任命される[15]。 小野少佐は8月20日附で高波艤装員長職務を解かれ、小倉正身中佐[16](当時、駆逐艦満潮艦長。同艦はバリ島沖海戦で大破[17]、修理中)が艤装員長に任命された[18]8月31日、高波は竣工した[19][20]。小倉中佐も正式に高波駆逐艦長となった[16][21]。高波艤装員事務所を撤去する[22]。 同日附で空母雲鷹呉鎮守府籍、大鷹と秋月型駆逐艦2番艦照月(高波と同日附8月31日に竣工)は佐世保鎮守府籍、高波は舞鶴鎮守府籍となる[23]。その上で、2隻(照月、高波)は警備駆逐艦に指定された[23]

ガダルカナル島を巡る戦い

「高波」は瀬戸内海および香港からラバウル方面へ陸軍部隊を輸送する沖輸送に参加した[24]。「高波」は佐伯発の第一船団(「賀茂丸」、「波上丸」)の護衛であった[25]。9月27日に佐伯を出港[26]。10月7日、ラバウル北西約30浬でアメリカ潜水艦の攻撃により「波上丸」が被雷沈没し、「高波」は生存者279名を救助した[27]

この沖輸送参加中の10月1日付で、「高波」は第二水雷戦隊の第三十一駆逐隊に編入されている[28]。 同駆逐隊司令は清水利夫大佐(前職、第21駆逐隊司令)[29][30]。清水司令は高波を31駆の司令駆逐艦に指定した[31]。 護衛任務を終えた後はトラック諸島に回航され、10月10日に到着した[32]

10月11日、第二水雷戦隊(軽巡洋艦五十鈴〈二水戦旗艦〉、第15駆逐隊〈親潮黒潮早潮〉、第24駆逐隊〈海風江風涼風〉、第31駆逐隊〈高波、巻波長波〉)はガダルカナル島ヘンダーソン飛行場艦砲射撃する第三戦隊(金剛型戦艦2隻〈金剛榛名〉。司令官栗田健男中将・海兵38期)を護衛してトラックを出撃する[33]。対するアメリカ軍は10月11日-12日のサボ島沖海戦で重巡古鷹と駆逐艦3隻(吹雪夏雲叢雲)を撃沈して勝利をおさめたものの、大小の損害を受けて消耗した米艦隊(指揮官ノーマン・スコット少将)もガ島海域から撤収した[34]。 10月13日から14日にかけての深夜に行われたヘンダーソン基地艦砲射撃で、第15駆逐隊・第24駆逐隊は第三戦隊(金剛、榛名)の直衛、第31駆逐隊は警戒隊、応援に派遣された第19駆逐隊はガ島〜ルッセル諸島の哨戒隊として行動、「長波」がアメリカ軍魚雷艇を撃退した[35]。ヘンダーソン飛行場はかなりの損害を受けたが、航空機42機、B-17重爆6機、日本軍が知らなかった新造滑走路(戦闘機用)が健在だった[36]。14日深夜〜15日0017には三川中将直率隊(重巡〈鳥海衣笠〉、駆逐艦〈天霧望月〉)によるヘンダーソン飛行場砲撃が実施されたが、二回の艦砲射撃を受けても同基地はいまだ稼働航空機を多数残していた[37]

一方、第四水雷戦隊(司令官高間完少将、旗艦「秋月」)が護衛していた高速輸送船団(吾妻山丸、南海丸、九州丸、佐渡丸、笹子丸、埼戸丸)は15日朝の時点でガ島に物資・重火器・弾薬・人員の約8割を揚陸していた[38]。ところが、ヘンダーソン飛行場よりアメリカ軍機のべ129機が襲来して輸送船3隻(笹子丸、九州丸、吾妻山丸)を喪失、揚陸した物資もアメリカ空母ホーネットの艦載機・ガ島航空隊・アメリカ艦隊の艦砲射撃により16日の時点で大部分を焼き払われている[39]。 輸送船団の苦戦をみた山本五十六連合艦隊司令長官は15日9時15分に重巡洋艦2隻にガ島飛行場砲撃を下令した[40]。第三戦隊とともにガダルカナル島を後にした第二水雷戦隊は、飛行場砲撃隊に指定された第五戦隊の重巡2隻(妙高摩耶)の護衛に二水戦4隻(旗艦〈五十鈴〉、第31駆逐隊〈高波、巻波、長波〉)を加勢させる形で兵力を分割した[40][41]。 第五戦隊は10月14日夜にガダルカナル島タサファロングの浜辺に突入して撃沈された高速輸送船3隻(笹子丸、九州丸、吾妻山丸)を見つつ、10月15日夜に艦砲射撃を敢行した[42]。砲撃は約1時間で終わり妙高は20cm砲弾476発、摩耶は20cm砲弾450発を発射[43]、第31駆逐隊も253発の砲撃を行った[40]。戦場を離脱後、10月17日夜に第二艦隊(司令長官近藤信竹中将・海兵35期)および第三艦隊(司令長官南雲忠一中将・海兵36期)主力と合流し[44]、補給を行いつつ敵を求めて進撃を続けた。 10月26日の南太平洋海戦における第二水雷戦隊は、前進部隊(指揮官近藤信竹第二艦隊長官:旗艦愛宕)に所属し、第四戦隊(愛宕、高雄)、第三戦隊(金剛、榛名)、第五戦隊(妙高、摩耶)、第二航空戦隊隼鷹)と共にアメリカ軍機動部隊と交戦した。10月30日にトラックに帰投した[45]

11月3日、第二水雷戦隊は外南洋部隊増援部隊としてトラックを出撃してショートランドに向かい、5日11時30分到着した[46]。同地で増援部隊指揮官は橋本信太郎第三水雷戦隊司令官から田中頼三第二水雷戦隊司令官に変更され、橋本三水戦司令官は軽巡川内以下第三水雷戦隊各艦をひきいてトラック泊地へ戻った[46]。田中司令官はさっそくガ島への鼠輸送を指揮することになった。 11月6日深夜、甲増援隊(第15駆逐隊〈親潮、早潮、陽炎〉、第24駆逐隊〈海風、江風、涼風〉、第31駆逐隊〈巻波、高波、長波〉、第10駆逐隊〈夕雲風雲〉)はショートランドを出撃[47][46]。途中でB-17 の空襲を受け、高波は軽傷者1名、長波は負傷者16名を出した[47]。輸送隊は深夜にタサファロング沖に到着して糧食を降ろし、傷病兵と便乗者を乗せて帰投した[48][46]

11月12日、増援部隊(早潮〈二水戦旗艦〉、親潮、陽炎、海風、江風、涼風、高波、巻波、天霧、望月)は第三十八師団佐野忠義中将)の将兵を乗せた11隻の輸送船とともにショートランドを出撃する[49]。しかし第三次ソロモン海戦第一夜戦と翌日昼間空襲で3隻(比叡夕立)が沈没しヘンダーソン飛行場砲撃が中止されたことを受け、命令に従い輸送船団は一旦ショートランド泊地に戻った[50]。外南洋部隊(指揮官三川軍一第八艦隊司令長官)は西村祥治第七戦隊司令官(旗艦「鈴谷」)ひきいる外南洋部隊支援隊(巡洋艦〈鈴谷摩耶天龍〉、駆逐艦〈夕雲巻雲風雲朝潮〉)にガ島飛行場砲撃を命じ、自らも主隊(鳥海、衣笠、五十鈴)をもって掩護にあたった[49]。支援隊は13日深夜に飛行場砲撃を実施したが、重巡2隻(鈴谷、摩耶)の砲撃では飛行場を破壊できず、14日昼間のアメリカ軍機の空襲(飛行場から飛来)で衣笠を撃沈され、各艦(鳥海、摩耶、五十鈴)も損傷を受けている[49]

一方の輸送船団(第二水雷戦隊)も、14日夜の揚陸を予定して13日15時30分ショートランド泊地を出撃、支援隊飛行場砲撃成功の報告を受けてガ島へ向け南下していた[50]。衣笠が沈没しつつあったころ、輸送船団もヘンダーソン飛行場から飛来した空母エンタープライズの艦載機[51]陸軍機、海兵隊機による8度にわたる反復攻撃を受ける[49]。 11隻いた輸送船のうち6隻が沈没、佐渡丸が駆逐艦2隻(天霧、望月)に護衛されて退避した[49]。田中少将は駆逐艦と残存の輸送船4隻をサボ島沖に向かう前進部隊(指揮官近藤信竹第二艦隊司令長官:旗艦〔愛宕〕)の後につけさせてガ島へむかった[52]。 前進部隊とウィリス・A・リー少将指揮下のアメリカ艦隊(戦艦〈ワシントンサウスダコタ〉、駆逐艦4)との間に第三次ソロモン海戦第二夜戦が生起すると、田中司令官は第15駆逐隊(親潮、陽炎)をして米戦艦を追撃させた(親潮は魚雷発射、1本命中報告〈誤認〉、陽炎は魚雷発射せず)[53]。自身は輸送船団と共に反転した[53]。日本艦隊から2隻(霧島、綾波)が沈没し、米戦艦2隻(ワシントン、サウスダコタ)が戦場から離脱した段階で、近藤中将は輸送船団の突入を下令する[54]。外南洋部隊指揮官(三川中将/第八艦隊司令長官)は通常の揚陸を指示したが、田中司令官は第八艦隊の命令を無視する形で[54]、輸送船4隻(広川丸、山浦丸、鬼怒川丸、山東丸)をタサファロングの浜辺に擱座させた[55]。人員約2000名は揚陸したものの、日中の空襲とアメリカ艦隊の艦砲射撃により輸送船4隻は炎上、揚陸物資・弾薬・重火器のほとんどを喪失した[54]。第二水雷戦隊は11月15日にショートランドに帰投した[56][54]

ルンガ沖夜戦

輸送船団によるガダルカナル島突入が失敗に終わると、ガダルカナル島の友軍2万数千名に対する糧食・弾薬の補給は緊急案件となった[57]。各種輸送手段を研究した連合艦隊は、ドラム缶を用いた鼠輸送に切り替える[57]。参加部隊は11月27日までにショートランド泊地に集結した[57]。 田中少将は、輸送隊の駆逐艦から予備魚雷を降ろし、警戒艦を除く各艦にドラム缶を200個から240個搭載させた[58][59]。 増援部隊の区分は、警戒隊(指揮官二水戦司令官、第31駆逐隊〈長波高波〉)、第一輸送隊(指揮官佐藤寅治郎第15駆逐隊司令、第15駆逐隊〈親潮黒潮陽炎〉、巻波)、第二輸送隊(指揮官中原義一郎第24駆逐隊司令、第24駆逐隊〈江風涼風〉)の計駆逐艦8隻である[60][61]。田中少将は長波に将旗を掲げた[62]。高波は第31駆逐隊の司令駆逐艦で、航行隊形は高波-親潮-黒潮-陽炎-巻波-長波〈二水戦旗艦〉-江風-涼風だった[63]

11月29日夜22時45分、第二水雷戦隊はショートランドを出撃して北方からガダルカナル島を目指した[64]。しかし、翌11月30日朝に偵察のB-17 (戦史叢書ではB-25)に発見される[65][62]。これを受け、南太平洋軍司令官ウィリアム・ハルゼー大将は「東京急行」を阻止すべく、カールトン・H・ライト少将の第67任務部隊英語版を出撃させた[66][67]。 サボ島沖に差し掛かった20時頃、高波は下令により単艦先行してアメリカ艦隊の攻撃に備える[62]。21時12分、高波は第67任務部隊を発見し『100度方向ニ敵ラシキ艦影見ユ』と報告、1分後に黒潮も敵艦影を発見、輸送隊は警戒しつつドラム缶投入準備を続けた[62]。高波では小倉艦長により「左砲雷同時戦」が下令されていたが、清水司令は「この視界では青い目玉に見つかることはあるまい」として補給任務終了後に戦闘を開始するよう命じたという[29]。 21時15分、高波は『敵駆逐艦七隻見ユ』と報告し、これを受けて田中少将は『揚陸止メ、全軍突撃セヨ』(21時16分)を下令する[62]ルンガ沖夜戦(アメリカ軍呼称タサファロンガ海戦 Battle of Tassafaronga)の始まりである[68]。アメリカ軍側はレーダーで第二水雷戦隊を補足、平行反航の針路で航行していたが、レーダー目標と背後のガダルカナル島海岸が混ざって絶好の雷撃機会を逸した[69]。第67任務部隊前衛駆逐艦群の魚雷は命中しなかった(「高波」の艦底を魚雷3本が通過した[70]という)が、巡洋艦部隊は他の駆逐艦より「いくらか近くにいた駆逐艦(高波)」を砲撃、炎上させた[69]

一方、敵発見を報じた高波は21時20分頃から第67任務部隊の集中砲火を浴び、舵故障を起こしつつ人力操舵で操艦した[71]。12.7cm主砲で反撃しつつ酸素魚雷8本を発射したものの、袋叩きの末に航行不能となった[72][73]。生還した江田高一(高波航海長)は『砲弾が集中したとき、息ができないほどだった』と回想している[74]。 旗艦長波は魚雷を発射すると、反転して避退した[73]。第24駆逐隊(江風、涼風)は距離約8000mで魚雷を発射後、旗艦長波に追及した[73]。第一輸送隊(親潮、黒潮、陽炎、巻波)はアメリカ艦隊に気付かれず、その隙を突いて距離3000mで酸素魚雷を発射した[73]。その槍衾は第67任務部隊の巡洋艦部隊に襲い掛かった。 先頭のミネアポリスには魚雷が2本命中し艦首を吹き飛ばし、ミネアポリスの後方を包んでいたニューオーリンズも魚雷の射線に飛び込み、艦首に魚雷が命中してミネアポリス同様に鼻先を失った[75][76]。3番艦ペンサコーラは損傷したミネアポリス、ニューオーリンズ両艦を避けるべく左に舵を切ったが、両艦からの火災によってペンサコーラの艦影が浮かび上がり、日本側による2度目の雷撃の格好の目標となってしまった[75]。ペンサコーラには1本が後部マスト直下の左舷側に命中し、機械室が破壊され砲塔3基が使用不能になった上、大火災が発生した[76]。4番艦ホノルル(USS Honolulu, CL-48) は30ノットの速力で相手から離れ無事だった。当初無傷だった5番艦ノーザンプトン(USS Northampton, CA-26) は避退する第二水雷戦隊を追撃中に、第15駆逐隊(黒潮、陽炎)が発射した魚雷が命中した[77]。魚雷2本が左舷後部に命中したが、命中穴は大きく同一箇所に命中したようだった[78]。ノーザンプトンは左に大きく倒れ、燃えながら沈没していった[79]。 日本側はワシントン型戦艦1隻撃沈・オーガスタ型巡洋艦1隻轟沈・3隻火災(1隻沈没)を報じ(実際戦果、重巡洋艦1沈没、重巡3大破)、アメリカ軍は駆逐艦4隻撃沈確実・2隻以上撃破(うち2隻は沈没確実)と見積もった(実際戦果、高波沈没、長波小破)[80][81]

23時ごろ、戦場を離脱中の第15駆逐隊(親潮、黒潮)は田中司令官(長波)より高波救援命令を受けた[73][82]。反転した2隻は漂流する高波を発見、『短艇なし』の報告をうけて接舷救助を試みる[83]。親潮から見ると、高波の上部構造物は原型がなく船体の各所から白煙がのぼり、沈没は時間の問題だった[74]。乗組員の移乗直前、高波の見張り員は敵艦の接近を報告した[74]。第67任務部隊の駆逐艦部隊が接近してきたため(第15駆逐隊側は巡洋艦2、駆逐艦3と報告)[84]、予備魚雷を降ろしていた2隻(親潮、黒潮)に反撃の手段はなく(この時、黒潮は残魚雷2本発射)、救援を中止して避退した[73][85]。敵駆逐艦らしきものが現れたが、これは反転して去り、続いて損傷した巡洋艦が「高波」のそばを通り過ぎた[86]。23時30分頃、清水司令の命令により高波は自沈の処置がとられる[87]。当時生存者約100名は退去を開始したが、沈没直前の23時37分にアメリカ艦隊が発射した魚雷が艦尾に命中[88][89]。続いて艦尾の爆雷および弾薬庫が爆発し、サボ島の南6海里の地点(アイアンボトム・サウンド)で沈没した[73][87]。 高波駆逐艦長の小倉正身中佐は高波艦橋で指揮中、1番砲塔被弾時の弾片と爆風により重傷を負う[71]。艦橋から運びだされたのち、戦死した[90][91]。第31駆逐隊司令清水利夫大佐(海兵46期)も行方不明となった(戦死認定、少将進級)[92][93][94]。高波乗員のうち211名が戦死[87][95]。生存者(准士官以上4名、下士官兵29名)はガ島へ泳ぎ着いた[73]

本海戦で増援部隊旗艦長波(田中司令官)は真っ先に避退してしまい、開戦以来の『第二水雷戦隊司令部は弱い』という批判を打ち消すことができなかった[96]。高波を囮同然にした挙句、長波(田中司令官)が先に帰ってしまった事に対する反発もあったという[97]戦史叢書では本海戦における勝利について「高波が一艦で敵の攻撃を引き受けた為、他の駆逐隊が態勢を立て直し夜戦能力を発揮できたから」と総括している[96]

駆逐艦高波は12月24日附で帝国駆逐艦籍[98]、 第31駆逐隊[99]、 夕雲型駆逐艦[100] のそれぞれから除籍された。

歴代艦長

艤装員長
  1. (兼)小野四郎 少佐:1942年7月23日[15] - 1942年8月20日[18](本職:朝潮型駆逐艦山雲駆逐艦長)
  2. 小倉正身 中佐:1942年8月20日[18] - 1942年8月31日[21]
駆逐艦長
  1. 小倉正身 中佐:1942年8月31日[21] - 1942年11月30日 戦死[101]。同日付任海軍大佐[102]

脚注

  1. ^ a b #達昭和17年1月pp.24-25『達第十八號 昭和十五年度及昭和十六年度ニ於テ建造ニ着手ノ驅逐艦二隻、潜水艦四隻、掃海艇一隻、敷設艇二隻及掃海特務艇三隻ニ左ノ通命名ス|昭和十七年一月二十日 海軍大臣 嶋田繁太郎|三菱重工業株式會社長崎造船所ニ於テ建造 一等驅逐艦 涼月(スズツキ)|浦賀船渠株式會社ニ於テ建造 一等驅逐艦 高波(タカナミ)|(以下略)』
  2. ^ #昭和17年12月31日艦艇類別等級表p.4『艦艇類別等級表|驅逐艦|一等|夕雲型|夕雲、巻雲、風雲、長波、巻波、高波、大波、清波、玉波、濱波』
  3. ^ 歴群19、水雷戦隊II 1998, p. 94a「高波(たかなみ)」
  4. ^ a b c #陽炎型、2014、318頁「高波(たかなみ)」
  5. ^ 戦史叢書85巻115-116頁「沖輸送船団」
  6. ^ #内令昭和17年10月(1)pp.1-2『内令第千八百二十四号 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年十月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|第二十驅逐隊ノ項ヲ削ル 第三十驅逐隊ノ項中「睦月」ヲ削ル 第三十一驅逐隊ノ項中「巻波」ノ下ニ「、高波」ヲ加フ』
  7. ^ 歴群19、水雷戦隊II 1998, p. 147「ルンガ沖夜戦」
  8. ^ a b #S1703横鎮日誌(5)p.36『一六|午前十時(天候)雨(気象)五.一(視界 粁)五〇/日没時 曇 六.〇 二〇(略)一.長官浦賀船渠ニ於テ第一二一號艦進水式臨場視察 秋雲 霰 陽炎 瑞鶴 翔鶴入港』
  9. ^ #昭和17年度帝国海軍戦時編制・駆逐隊他p.1『昭和十七年度戦時驅逐隊編制豫定表』
  10. ^ #昭和17年度帝国海軍戦時編制p.5『艦隊|第一航空艦隊|第一航空戦隊/翔鶴、瑞鶴、第十一驅逐隊|第二航空戦隊/蒼龍・飛龍・第十二驅逐隊|第四航空戦隊/龍驤、《飛鷹》、《隼鷹》、第三驅逐隊|第五航空戦隊/赤城、加賀、第五十一驅逐隊|第六航空戦隊/《第三十一驅逐隊》/特設航空母艦三』
  11. ^ #内令昭和17年1月(3)p.6『内令第百十四號 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十七年一月二十日 海軍大臣 嶋田繁太郎|駆逐艦、一等夕雲型ノ項中「巻波」ノ下ニ「、高波」ヲ加ヘ同秋月型ノ項中「照月」ノ下ニ「、涼月」ヲ加フ(以下略)』
  12. ^ #S1703横鎮日誌(3)p.17『十六日一七三〇横鎮長官(宛略)横鎮機密第四九番電 浦賀船渠株式會社浦賀工場ニ於テ建造中ノ驅逐艦高波本日一六三〇無事進水』
  13. ^ #S1703横鎮日誌(1)pp.17-18『(1)艦船關係 起工、進水、竣工』
  14. ^ 昭和17年7月29日(水)海軍公報(部内限)第4154号 p.32」 アジア歴史資料センター Ref.C12070413400 『○事務所設置 第三十三號驅潜艇艤装員ハ事務所ヲ七月二十三日岡山縣玉野市玉三井造船事務所内ニ設置シ事務ヲ開始セリ|驅逐艦高波艤装員ハ事務所ヲ七月二十四日神奈川縣三浦郡浦賀町谷戸六番地浦賀船渠株式會社浦賀工場内ニ設置シ事務ヲ開始セリ|特務艦足摺艤装員ハ事務所ヲ七月二十五日長崎海軍監督官事務所内ニ設置シ事務ヲ開始セリ』
  15. ^ a b 昭和17年7月25日(発令7月25日付)海軍辞令公報(部内限)第906号 p.48」 アジア歴史資料センター Ref.C13072086300 
  16. ^ a b 歴群19、水雷戦隊II 1998, p. 182.
  17. ^ 歴群19、水雷戦隊II 1998, pp. 144–145バリ島沖海戦
  18. ^ a b c 昭和17年8月20日(発令8月20日付)海軍辞令公報(部内限)第926号 p.45」 アジア歴史資料センター Ref.C13072086600 
  19. ^ #秋月型、平成27223頁『高波(たかなみ)』
  20. ^ #S1708横鎮日誌(1)p.18『(起工進水竣工別)|八月三十一日|高波|(舞鶴)|浦賀船渠株式會社』
  21. ^ a b c 昭和17年8月31日(発令8月31日付)海軍辞令公報(部内限)第931号 p.22」 アジア歴史資料センター Ref.C13072086700 
  22. ^ 昭和17年9月3日(木)海軍公報(部内限)第4185号 p.40」 アジア歴史資料センター Ref.C12070422600 『○事務所撤去 驅逐艦高波艤装員事務所ヲ八月三十一日撤去セリ』
  23. ^ a b #内令昭和17年8月(4)pp.12-13『内令第千六百二十五號 軍艦 雲鷹 右本籍ヲ呉鎮守府ト定メラル|軍艦 大鷹 右本籍ヲ佐世保鎮守府ト定メラル|驅逐艦 照月 右本籍ヲ佐世保鎮守府ト定メラル|驅逐艦 高波 右本籍ヲ舞鶴鎮守府ト定メラル(中略)|佐世保鎮守府在籍 驅逐艦 照月/舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 高波 右警備駆逐艦ト定メラル(中略)|昭和十七年八月三十一日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  24. ^ 『中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降』196、201ページ
  25. ^ 『中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降』200-201ページ
  26. ^ 『南東方面海軍作戦<2>ガ島撤収まで』163ページ
  27. ^ 『中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降』201ページ、『南東方面海軍作戦<2>ガ島撤収まで』163-164ページ、The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II
  28. ^ 『中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降』201ページ
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  30. ^ 昭和17年8月31日(発令8月31日付)海軍辞令公報(部内限)第931号 p.21」 アジア歴史資料センター Ref.C13072086700 
  31. ^ 昭和17年12月18日(金)海軍公報(部内限)第4270号 p.49」 アジア歴史資料センター Ref.C12070423900 『○司令驅逐艦指定 第三十一驅逐隊司令ハ十月一日司令驅逐艦ヲ高波ニ指定セリ』
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  34. ^ #ニミッツの太平洋海戦史127-128頁
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  44. ^ 『第二水雷戦隊戦闘詳報』pp.73
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  50. ^ a b 戦史叢書83巻379-382頁『第二次輸送船団の被爆』
  51. ^ 南太平洋海戦での損傷の修理中、艦載機をヘンダーソン飛行場に移動させていた(木俣, 232、233ページ)
  52. ^ 戦史叢書83巻384頁
  53. ^ a b 戦史叢書83巻391-392頁
  54. ^ a b c d 戦史叢書83巻397-398頁『第二次輸送船団の壊滅』
  55. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030098800, pp.23
  56. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030099000, pp.7
  57. ^ a b c 戦史叢書83巻431頁『ドラム罐輸送計画』
  58. ^ 歴群19、水雷戦隊II 1998, p. 153駆逐艦によるドラム缶輸送
  59. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030099000, pp.1,2,42,43,44
  60. ^ 戦史叢書83巻432頁
  61. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030099000, pp.1,3,4
  62. ^ a b c d e 戦史叢書83巻433頁
  63. ^ #陽炎型、201428頁(神通は内地で修理中)』
  64. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030099000, pp.44,45,48
  65. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030099000, pp.45,48
  66. ^ ポッター, 306ページ
  67. ^ 歴群19、水雷戦隊II 1998, p. 152b米邀撃艦隊出撃
  68. ^ #ニミッツの太平洋海戦史141頁
  69. ^ a b #ニミッツの太平洋海戦史142頁
  70. ^ 世紀のルンガ沖夜戦秘録、249ページ
  71. ^ a b #半藤(朝日ソノラマ)175-177頁『15.手記 二三二四 高波航行不能(高波航海長・江田高市大尉回想)』
  72. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030098800, pp.52
  73. ^ a b c d e f g h 戦史叢書83巻435頁
  74. ^ a b c #回天発進89頁
  75. ^ a b #半藤(朝日ソノラマ)193-195頁
  76. ^ a b #ニミッツの太平洋海戦史143頁
  77. ^ #半藤(朝日ソノラマ)201-204頁
  78. ^ 木俣, 242ページ
  79. ^ 歴群19、水雷戦隊II 1998, p. 158日本艦隊の逆襲
  80. ^ 歴群19、水雷戦隊II 1998, p. 152aソロモンの魚雷戦
  81. ^ #猛き艨艟168頁『ソロモンの魚雷戦』
  82. ^ #回天発進86-87頁
  83. ^ #回天発進88頁
  84. ^ #高松宮日記5巻273頁
  85. ^ #回天発進90-92頁
  86. ^ 世紀のルンガ沖夜戦秘録、259ページ
  87. ^ a b c #回天発進93-94頁
  88. ^ 戦史叢書83巻437頁『航海長江田予備中尉の陳述』
  89. ^ これは「高波」航海長江田予備中尉の陳述によるとあるが、「世紀のルンガ沖夜戦秘録」(著者は元駆逐艦高波航海長・海軍予備大尉 江田高市)には魚雷が命中したとの記述はなく、また261ページには1時35分(生存者腕時計停止時による)に「高波」は横倒しとなり、沈没した(時刻は現地時間、日本時間では23時35分)、との記述もある。アメリカ側の資料(Battle of Tassafaronga, 30 November 1942)には該当する雷撃の記述は無い。
  90. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030098800, pp.53、木俣, 243ページ
  91. ^ #半藤(朝日ソノラマ)214頁
  92. ^ 『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030098800, pp.53
  93. ^ 昭和18年10月16日(発令昭和17年11月30日付)海軍辞令公報(部内限)第1241号 p.35」 アジア歴史資料センター Ref.C13072093800 
  94. ^ 海軍少将宮崎重敏外二名叙位の件 p.5」 アジア歴史資料センター Ref.A12090345900 
  95. ^ #半藤(朝日ソノラマ)225頁では(戦死71、行方不明139、駆逐隊司令、駆逐艦長戦死)
  96. ^ a b 戦史叢書83巻436頁
  97. ^ #撃沈戦記191頁『乱戦の中の指揮官』
  98. ^ #内令昭和17年12月分(4)p.30『内令第二千三百七十五號 呉鎮守府在籍 驅逐艦 早潮|舞鶴鎮守府在籍 驅逐艦 高波|右帝國驅逐艦籍ヨリ除カル|横須賀鎮守府在籍 伊號第十五潜水艦 右帝國潜水艦籍ヨリ除カル|昭和十七年十二月二十四日 海軍大臣 嶋田繁太郎』
  99. ^ #内令昭和17年12月分(4)p.29『内令第二千三百七十三號 驅逐隊編制中左ノ通改定セラル|昭和十七年十二月二十四日 海軍大臣 嶋田繁太郎|第十五驅逐隊ノ項中「早潮、」ヲ削ル|第三十一驅逐隊ノ項中「、高波」ヲ削ル』
  100. ^ #内令昭和17年12月分(4)p.33『内令第二千三百八十一號 艦艇類別等級別表左ノ通改正ス|昭和十七年十二月二十四日 海軍大臣 嶋田繁太郎|驅逐艦、一等陽炎型ノ項中「、早潮」ヲ、同夕雲型ノ項中「、高波」ヲ削ル|潜水艦、一等ノ部中「伊十五型」ヲ「伊十七型」ニ改メ同項中「伊號第十五、」ヲ削ル』
  101. ^ 海軍大佐鈴木正明外十名賞与ノ件外二件(盛岡高等農林学校長上村勝爾外四名賞与ノ件、横浜高等商業学校長田尻常雄賞与ノ件)」 アジア歴史資料センター Ref.A04018719000 
  102. ^ 昭和18年10月22日(発令昭和17年11月30日付)海軍辞令公報(部内限)第1244号 p.17」 アジア歴史資料センター Ref.C13072093900 

参考文献

  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭和17年1月~12月 達/達昭和17年1月』。Ref.C12070114100。 
    • 『昭和17年1月~3月 内令1巻/昭和17年1月(3)』。Ref.C12070160600。 
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    • 『昭和17年10月~12月内令4巻止/昭和17年10月(1)』。Ref.C12070165700。 
    • 『昭和17年10月~12月 内令4巻止/昭和17年12月(4)』。Ref.C12070167000。 
    • 『昭和17年12月31日現在10版内令提要追録第12号原稿/巻3/第13類艦船(1)』。Ref.C13072013300。 
    • 『昭和17年度 帝国海軍戦時編制(内示案) 昭和16.9.12/ 昭和17年度帝国海軍戦時編制/附表』。Ref.C14121196200。 
    • 『昭和17年度 帝国海軍戦時編制(内示案) 昭和16.9.12/ 昭和17年度戦時駆逐隊・潜水隊・水雷隊・掃海隊・驅潛隊・通信隊・航空隊編制予定表 昭和17年度警備隊・防備隊附属艦艇及防備機関編制予定表 昭和17年度戦時艦船飛行機搭載予定表/第1表~第9表』。Ref.C14121196500。 
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    • 『昭和16年~20年 喪失船舶一覧表(1)』。Ref.C08050009900。 
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    • 呉防備戦隊司令部『自昭和十七年九月一日至昭和十七年九月三十日 呉防備戦隊戦時日誌』(昭和17年7月1日〜昭和17年11月30日 呉防備戦隊戦時日誌(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030366600
    • 第二水雷戦隊司令官田中頼三『機密二水戦命令作第八号 第二水雷戦隊命令』(昭和17年10月1日〜昭和17年10月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030098100
    • 第二水雷戦隊司令部『第二水雷戦隊戦闘詳報 第一二号』(昭和17年10月1日〜昭和17年10月31日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(3)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030098300
    • 第二水雷戦隊司令部『自昭和十七年十一月一日至昭和十七年十一月三十日 第二水雷戦隊戦時日誌』(昭和17年11月1日〜昭和17年11月15日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)) アジア歴史資料センター レファレンスコード:C08030098800, C08030099000
  • SS-191, USS SCULPIN(issuuベータ版)
  • 伊藤正徳『連合艦隊の栄光』角川書店、1974年7月。 
  • 海軍歴史保存会編『日本海軍史』第7巻、発売:第一法規出版、1995年。
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年
  • ラッセル・クレンシャウ著、岡部いさく・岩重多四朗訳『ルンガ沖の閃光 日本海軍駆逐艦部隊(対)アメリカ海軍巡洋艦部隊』大日本絵画、2008年9月。ISBN 978-4-499-22973-9 
  • 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年、ISBN 4-87970-047-9
  • 志賀博ほか『駆逐艦物語 車引きを自称した駆逐艦乗りたちの心意気』潮書房光人社、2016年4月。ISBN 978-4-7698-1615-7 
    • (91-102頁)元大本営参謀・海軍中佐吉田俊雄『世界の眼に映じた日本の駆逐艦 世界に冠たる酸素魚雷と特型から夕雲型にいたる精鋭駆逐艦の真骨頂
    • (171-178頁)当時「江風」水雷長・海軍大尉溝口智司『私は歴戦艦「江風」の水雷長だった 無念の涙をのんだ白露型駆逐艦水雷長が迎えた三度目のチャンス!
  • 重本俊一(海軍兵学校70期)「第四章 業火の海」『回天発進 わが出発は遂に訪れず』光人社、1989年4月。ISBN 4-7698-0436-9 
  • 重本俊一ほか『陽炎型駆逐艦 水雷戦隊の中核となった精鋭たちの実力と奮戦』潮書房光人社、2014年10月。ISBN 978-4-7698-1577-8 
    • (21-39頁)当時「親潮」航海士・海軍少尉重本俊一『わが「親潮」ルンガ沖に突入せよ 米艦隊の真っ只中に殴り込んだ親潮、黒潮、陽炎のルンガ沖夜戦
    • (109-123頁)戦史研究家落合康夫『駆逐隊別「陽炎型駆逐艦」全作戦行動ダイアリィ 第四、第十五、第十六、第十七、第十八駆逐隊 太平洋奮迅録
    • (158-162頁)当時「早潮」分隊士・海軍少尉岡本辰蔵『快速輸送「早潮」兵員物資の積み降ろし秘法 命がけのネズミ輸送"東京急行"に従事した揚陸指揮官の苦心惨憺
    • (255-342頁)戦史研究家伊達久『日本海軍駆逐艦戦歴一覧 太平洋戦争時、全一七八隻の航跡と最後
  • 高松宮宣仁親王嶋中鵬二発行人『高松宮日記 第五巻 昭和十七年十月一日~昭和十八年二月十一日』中央公論社、1996年11月。ISBN 4-12-403395-8 
  • 寺内正道ほか『海軍駆逐隊 駆逐艦群の戦闘部隊編成と戦場の実相』潮書房光人社、2015年9月。ISBN 978-47698-1601-0 
    • 当時「陽炎」信号員・海軍一等兵曹谷義保『十五駆逐隊「陽炎」ソロモン輸送航海記 黒潮、親潮、早潮の十五駆へ編入。最多ともいえる二十数回の決死行
  • 永井喜之・木俣滋郎「第二次世界大戦/日本編 第8章 アメリカ重巡「ノーザンプトン」」『新戦史シリーズ 撃沈戦記』朝日ソノラマ、1988年10月。ISBN 4-257-17208-8 
  • チェスター・ニミッツ、E・B・ポッター、実松譲・富永謙吾訳『ニミッツの太平洋海戦史』恒文社、1962年12月。 
  • 野間恒『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』私家版、2004年
  • 半藤一利航空戦史シリーズ41 ルンガ沖夜戦』朝日ソノラマ、1984年5月。ISBN 4-257-17041-7 
  • 原勝洋「ガ島輸送隊の勝利・ルンガ沖夜戦 夕雲型・陽炎型・白露型駆逐艦」『猛き艨艟 太平洋戦争日本軍艦戦史』文春文庫、2000年8月。ISBN 4-16-745602-8 
  • 文藝春秋編「香取史郎(戦史研究家)「完勝・ルンガ沖夜戦」」『完本・太平洋戦争(上)』文藝春秋、1991年12月。ISBN 4-16-345920-0 
    • (昭和36年3月6日「週刊文春」 原題「田中頼三少将の『全軍突撃セヨ』」)
  • 防衛庁防衛研修所戦史部『中部太平洋方面海軍作戦<2>昭和十七年六月以降』戦史叢書第62巻、朝雲新聞社、1973年
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 南東方面海軍作戦<2> ガ島撤収まで』 第83巻、朝雲新聞社、1975年8月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 本土方面海軍作戦』 第85巻、朝雲新聞社、1975年6月。 
  • E・B・ポッター/秋山信雄(訳)『BULL HALSEY/キル・ジャップス! ブル・ハルゼー提督の太平洋海戦史』光人社、1991年、ISBN 4-7698-0576-4
  • 雑誌『』編集部『ハンディ版 日本海軍艦艇写真集17 駆逐艦 初春型・白露型・朝潮型・陽炎型・夕雲型・島風』光人社、1997年。
  • 山本平弥ほか『秋月型駆逐艦<付・夕雲型・島風・丁型> 戦時に竣工した最新鋭駆逐艦の実力と全貌』潮書房光人社、2015年3月。ISBN 978-4-7698-1584-6 
    • 戦史研究家伊達久『夕雲型駆逐艦十九隻&島風の太平洋戦争』
    • 当時「巻波」機関長・海軍大尉前田憲夫『南太平洋に奇跡を起こした「巻波」奮迅録 最新鋭夕雲型駆逐艦の機関長が体験したガ島輸送とルンガ沖夜戦
    • 当時「長波」機銃長・海軍二等兵曹初田太四郎『強運艦「長波」快心の中央突破四十八時間 三十一駆逐隊の巻波高波と共に戦った不屈の五ヶ月と秋月型照月の最後
  • 吉田俊雄「第1部 第二水雷戦隊」『航空戦史シリーズ 波濤を越えて』朝日ソノラマ、1985年6月。ISBN 4-257-17057-3 
  • 歴史群像編集部編『水雷戦隊II 陽炎型駆逐艦 究極の艦隊型駆逐艦が辿った栄光と悲劇の航跡』 第19巻、学習研究社〈歴史群像 太平洋戦史シリーズ〉、1998年8月。 
    • (143-158頁)戦闘ドキュメント 日本駆逐艦の奮戦 PATR1〔水雷戦隊かく戦えり〕/PART2〔ルンガ沖夜戦〕
    • (179-189頁)雨倉孝之「人物抄伝 太平洋の群像 駆逐隊司令・駆逐艦長列伝[ 2 ]」/(182-184頁)敢闘の駆逐艦長小倉正身
  • 江田高市「世紀のルンガ沖夜戦秘録」『丸 エキストラ版 Vol.25』潮書房、1972年、237-263ページ

関連項目

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高波 (駆逐艦)
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