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身欠きニシン

身欠きニシン
身欠きニシンの甘露煮を使用した駅弁函館駅の鰊みがき弁当)

身欠きニシン(みがきニシン、みかきニシン、身欠き鰊)とは、ニシン干物のことである。

概要

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水揚げされたニシンは、生の状態では日持ちがしない。冷蔵技術が発達していない時代では、内臓や頭を取り除いて乾燥させるのが一番合理的な保存法だった。大量のニシンを日本各地に流通させるために、干物として加工されたものが身欠きニシンである。すでに享保2年(1717年)の『松前蝦夷記』に、ニシンの加工品として「丸干鯡」(ニシンを内臓も取らずそのまま干し上げたもの)、「数の子」、「白子」などとともに「鯡身欠」が記載されている[1]。江戸時代中期の宝暦年間に描かれた「江差檜山屏風」にも、ニシンを指先でさばく女性と、さばいた鰊を干し棚にかける男性の姿が描かれている[2][3]

名称由来

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身欠き」とは、戻した干物が筋ごとに欠き易くなることからついた俗称[独自研究?]で、「磨きにしん」という表記は誤りである。また、脂の少ないものが上物とされ「上干」という[独自研究?]

歴史

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かつて北日本、特に北海道日本海沿岸では、春になれば海が白子精子)で海岸が白く染まるほどニシンが押し寄せ(群来)[4]、漁獲されたニシンは浜に数尺の高さに敷き詰められ、人がその上を往来するほどだった。江戸時代からニシン漁で各地の漁村が栄え、ニシンで財をなした各地の網元の「鰊御殿」と呼ばれる豪邸が今も当時の栄華を伝える。水揚げされたニシンは番屋などで干物や鰊粕に加工され、内地に送られ(北前船を参照)保存に適したタンパク源として流通し、また、蝦夷地開拓の資金源となった。京都では身欠きニシンの煮物がおばんざいの定番となっているほか、日本各地で身欠きニシンの煮物や鰊漬けが伝統料理となっている。

天明3年(1783年)に北海道の江差を訪れた紀行家・平秩東作が著した旅行記『東遊記』には、ニシンの背肉は身欠き(身欠きにしん)と称して「下賤のもの」の食物となり、上方煮売屋(総菜屋)が用いると紹介している[5]。かつては安価で貧困層の食物だったが、後に漁獲高の減少からニシンが値上がりしたため、現在は高級食材となりつつある。

製造方法

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北海道留萌郡小平町鰊御殿、「旧花田家番屋」に展示された身欠きにしん造りの道具。手前の小刀は、鰊割き用の「サバサキリ」、その背後の筵は、潰し手の女性が着物を汚さないように掛けたひざ掛け、左は潰し手の腰掛け、奥の天秤棒は、結束したニシン運搬用の「洗い鉤」

明治大正時代のニシン漁場では、ニシンをさばいて加工する作業を「鰊潰し」と呼んだ。身欠きにしんの製造は女性の仕事で、尻つなぎ(運搬係)の男性と共に2人一組で行うものだった[6]

まず、水揚げしたニシンをロウカと呼ばれる板倉に収蔵する[6]。数日ほど経過し、ニシンの魚肉が軟化しカズノコが固まって処理しやすくなった頃合いに鰊つぶしが始まる。潰し手はロウカの板壁を外した前に一列になって座り、着物が汚れないようにガンピ(樺皮)を仕込んだを膝の上に敷いたうえで作業にかかる[6]

まず潰し係はテックビ(指袋)をはめた手でニシンのえらぶたを開いて腹を裂き、内臓とカズノコ白子を抜き取る。抜き取った内臓や白子、数の子は左右に置いたテッコ(木箱)に取り分ける。内臓を抜き取ったニシンがある程度溜まると、運搬係が縄で22か23匹ずつ結束し、鉤付きの天秤棒「洗い鉤」に吊って干場まで運搬する。この結束したニシンの束を「連」と呼び[note 1]、50か51連で「1本」と呼ぶ[note 2]。潰し手は食事の時間も惜しんで作業に没頭し、尻つなぎは臨機応変にニシンや白子、数の子を運搬し、ときには潰し手の口に飴玉を含ませるなど、両者の息が合わなければできない仕事だった。2人がかりで処理するニシンの量は、1日で8本(約9千匹)が目安とされた[7]。熟練者は12本(1万2千匹)も処理した。賃金は1本いくらの請負で、昭和初期で30銭だった[8]

縄に繋いだニシンを2日ほど魚架(なや)[note 3]に干し、尾びれが乾いて全体が生乾きになれば、サバサキリと呼ばれる薄刃の包丁で尾から頭に向けて開く。1人で一日100連処理するのが目安だった[7]。鰊割き作業は請負仕事にすれば仕上がりが粗雑になるため、一日いくらの日雇いで支払われ、昭和初期で2円が相場だった[9]。割いたニシンはさらに2週間ほど乾燥させ、背骨から背肉を引き抜いて完成させる。1尾から2本とれる身欠きにしん100本を樹皮で結わえたものを1束とし、24束を1梱にして秋田県山形県新潟県など東北、北陸方面に出荷する。ニシン潰しの際に出たカズノコは水にさらして血抜きした上で干し上げて食品として出荷し[10]、白子や笹目(えら)、胴鰊(身欠きにしんを取った後の、背骨や頭部)は北陸方面に肥料として出荷する[11]

ニシン干場の土壌には大量のニシン油が滲み込んでいるため、漁期が済んだ春以降は畑として利用された[12]

現在では、よく洗ったニシンを機械干しし、加工しやすい程度に水分が落ちた時点で三枚におろし、再度送風による機械干しにする。1週間程度乾燥させたところで、頭などを落とし成形し、1か月程度倉庫で熟成させる。

利用

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一般的に魚の干物は焼いて食されるが、身欠きニシンは米の研ぎ汁や米ぬかを溶いた水に漬けて戻した後、煮物甘露煮などに加工して食べることが多い。ニシンを昆布で巻いて煮含めた鰊の昆布巻きは日本各地で広く食べられている[13]。柔らかく煮含めた身欠きニシンを具としたにしんそばは京都や北陸、北海道西部の名物となっている。身欠きニシンを野菜と共に米麹で漬け込んだ鰊漬けは伝統漬物として知られる[14]。北陸地方の食文化であるかぶら寿司は現在はブリを使用することが一般的であるが、かつては身欠きニシンを戻したものを使用していた。現在でも福井県敦賀市付近ではニシンのかぶら寿司が残っている。

一方、北海道や東北地方では酒の肴として、ニシンの半生干しに味噌を付けてそのまま食する食べ方もある[15]。かつて身欠きにしんの産地だった北海道の漁村では、干場から盗み取った身欠きにしんとイタドリの茎、ヤマブドウの芽、塩を混合し、「ナレッパショッパ。ナレナイトカレナイ カレナイトナレナイ」(熟れ葉、塩葉。熟れないと食えない。食えないと熟れない)と囃しつつ搗き交ぜたものが、子どもの手軽なおやつだった[16]

脚注

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注釈

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  1. ^ なお、ニシン漁場では「七連」(ななつら)は私娼の隠語であった。彼女たちは身欠きニシン7連分の金額で買えるからである
  2. ^ ニシンを計測する単位が「22か23匹で1連」「50か51連で1本」などと半端なのは、干す最中に鳥や猫、子どもに盗まれることを見越してのことである
  3. ^ 丸太を組んで作った干し棚。発音は「なや」だが屋根はなく、「納屋」とは異なる。

出典

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  1. ^ 北海道の生業2 1981, p. 56.
  2. ^ Ⅲ-2 鰊漁をめぐる江差浜漁民と問屋(商人)』(レポート)神奈川大学21世紀COEプログラム研究推進会議、2007年、81-110頁。hdl:10487/6536https://hdl.handle.net/10487/6536 
  3. ^ 田島佳也「研究エッセイ 屏風絵を読むにあたって-「江差桧山屏風」の読み取り体験から-」『非文字資料研究 News Letter』第11巻、神奈川大学21世紀COEプログラム「人類文化研究のための非文字資料の体系化」研究推進会議、2006年3月、10-13頁、CRID 1050001202572158336hdl:10487/6329ISSN 1348-8139NAID 120006547793 
  4. ^ ニシンの群来が来た! 小樽市ホームページ(2021年7月26日閲覧)
  5. ^ 民謡地図③追分と宿場・港の女たち 2003, p. 55-57.
  6. ^ a b c 北海道の生業2 1981, p. 57.
  7. ^ a b 北海道の生業2 1981, p. 58.
  8. ^ 『鰊場物語』 1978, p. 46.
  9. ^ 『鰊場物語』 1978, p. 47.
  10. ^ 北海道の生業2 1981, p. 59.
  11. ^ 北海道の生業2 1981, p. 60.
  12. ^ 北海道の食事 1986, p. 217.
  13. ^ 北海道の食事 1986, p. 250.
  14. ^ 漬物の製造法”. 全日本漬物協同組合連合会. 2022年4月8日閲覧。
  15. ^ 青森の食事 1986, p. 65.
  16. ^ 『鰊場物語』 1978, p. 129‐132.

参考資料

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  • 内田五郎『鰊場物語』北海道新聞社、1978年。ASIN B000J8L5AM 
  • 山田健、矢島睿、丹治輝一『北海道の生業2 漁業・諸職』明玄書房、1981年。ASIN B000J7S2OU 
  • 日本の食生活全集 北海道 編集委員会『日本の食生活全集1 聞き書き 北海道の食事』農文協、1986年。ISBN 978-4540860010 
  • 日本の食生活全集 青森 編集委員会『日本の食生活全集2 聞き書き 青森の食事』農文協、1986年。ISBN 978-4540860324 
  • 竹内勉『民謡地図③ 追分と宿場・港の女たち』本阿弥書店、2003年。ISBN 978-4893738905 

関連項目

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身欠きニシン
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