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眠れる美女

眠れる美女
訳題 House of the Sleeping Beauties
作者 川端康成
日本の旗 日本
言語 日本語
ジャンル 中編小説
発表形態 雑誌連載
初出情報
初出新潮1960年1月号(第57巻第1号)-6月号
1961年1月号-11月号(第58巻第11号)全17回
刊本情報
出版元 新潮社
出版年月日 1961年11月30日
総ページ数 150
ウィキポータル 文学 ポータル 書物
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眠れる美女』(ねむれるびじょ)は、川端康成中編小説。全5章から成る。「魔界」のテーマに連なる川端の後期を代表する前衛的な趣の作品で、デカダンス文学の名作と称されている[1][2][3]。すでに男でなくなった有閑老人限定の「秘密くらぶ」の会員となった老人が、海辺の宿の一室で、意識がなく眠らされた形の若い娘の傍らで一夜を過ごす物語。老いを自覚した男が、逸楽の館での「眠れる美女」のみずみずしい肉体を仔細に観察しながら、過去の恋人や自分の娘、死んだ母の断想や様々な妄念、夢想を去来させるエロティシズムとデカダンスが描かれている。第16回(1962年度)毎日出版文化賞を受賞した[4]

これまで日本で2度、海外で3度(フランスドイツオーストラリア)映画化された。

発表経過

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1960年(昭和35年)、雑誌『新潮』1月号(第57巻第1号)から6月号までと、翌年1961年(昭和36年)1月号から11月号(第58巻第11号)まで、合間に約半年のブランクを挟んで連載された[4]。17回にわたる連載ながら全量は中編で、各回は原稿用紙平均10枚程度のものだった[4]

連載6回目と7回目の間の空白休止期間は、アメリカ国務省の招きによる渡米と、ブラジルサンパウロでの国際ペンクラブ大会出席などの多忙が一因とみられる[4]。連載終了後は、内容に沿って全体を5話の構成で章分けし、同年11月30日に新潮社より単行本刊行された[4][5]

翻訳版はエドワード・サイデンステッカー訳の英語(英題:House of the Sleeping Beauties)をはじめ、中国語(中題:眠美人)、フランス語(仏題:Les Belles Endormies)、スペイン語(西題:La Casa de las Bellas Durmientes)、イタリア語(伊題:La Casa delle Belle Addormentate)、ドイツ語(独題:Die schlafenden Schonen)など世界各国で出版されている[6]

あらすじ

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江口老人は、友人の木賀老人に教えられた或る宿を訪れた。その海辺に近い二階立ての館には案内人が中年の女1人しかいなかった。江口老人は「すでに男でなくなっている安心できるお客さま」として迎えられ、二階の八畳で一服する。部屋の隣には鍵のかかる寝部屋があり、深紅ビロードのカーテンに覆われた「眠れる美女」の密室となっていた。

そこは規則として、眠っている娘に質の悪いいたずらや性行為をしてはいけないことになっており、会員の老人たちは全裸の娘と一晩添寝し逸楽を味わうという秘密のくらぶの館だった。江口はまだ男の性機能が衰えてはいず、「安心できるお客さま」ではなかったが、そうであることも自分でできた。

眠っている20歳前くらいの娘の初々しい美しさに心を奪われた江口は、ゆさぶっても起きない娘を観察したり触ったりしながら、昔の若い頃、処女だった恋人と駆け落ちした回想に耽り、枕元の睡眠薬で眠った。

半月ほど後、江口は再び「眠れる美女」の家を訪れた。今度の娘は妖艶で娼婦のように男を誘う魅力に満ちていた。江口は禁制をやぶりそうになったが、娘の処女のしるしを見て驚き、純潔を汚すのを止めた。まぶたに押し付けられた娘の手から椿の花の幻を見た江口は、嫁ぐ前に末娘と旅した椿寺のことを思い出す。2人の若者が末娘をめぐって争い、その1人に末娘は無理矢理に処女を奪われたが、もう1人の若者と結婚したのだった。

8日後、3回目に宿を訪れて添寝した「眠れる美女」は、16歳くらいのあどけない小顔の少女だった。江口は娘と同じ薬をもらって、自分も一緒に死んだように眠ることに誘惑をおぼえた。老人に様々な妄念や過去の背徳を去来させる「眠れる美女」は、遊女や妖婦が化身だったという昔の説話のように、老人が拝む仏の化身ようにも江口には思われた。

次に訪れて添寝した娘は整った美人ではないが、大柄のなめらかな肌で寒い晩にはあたたかい娘だった。江口の中で再び「眠れる美女」と無理心中することや悪の妄念が去来した。5回目に江口が宿を訪れたのは、正月を過ぎた真冬の晩だった。狭心症で突然死した福良専務もこの「秘密くらぶ」の会員だったことを、江口は木賀老人から聞いていた。福良専務は世間では温泉宿で死んだことになっていた。宿の中年女はその遺体を運び擬装したことを江口に隠さなかった。

その晩、江口の床には娘が2人用意されていた。色黒の野性的な娘と、やわらかなやさしい色気の白い娘に挟まれて、江口は、白い娘を自分の一生の最後の女にすることを想像した。江口は自分の最初の女は誰かとふと考え、なぜか結核で血を吐き死んでいった母のことを思い出した。深紅のカーテンが血の色のように見えた江口は、睡眠薬の眠りに落ちていった。

母の夢から醒めると、色黒の娘が冷たくなり死んでいた。江口は眠っている間に自分が殺したのではないとふと思い、ガタガタとふるえた。宿の中年女は医者も呼ばず平然と対処し、「ゆっくりとおやすみなさって下さい。娘ももう1人おりますでしょう」と言って、眠れないと訴える江口に白い錠剤を渡した。白い娘の裸は輝く美しさに横たわっているのを江口は眺めた。死んだ黒い娘を温泉宿へ運び出す車の音が遠ざかった。

登場人物

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江口由夫
67歳。老妻と暮らしている。嫁いだ娘が3人いて、それぞれの娘はを産んでいる。独身の若い頃に駆け落ちまでした恋人がいた。結婚後も芸者愛人、人妻との不倫などがあった。17歳の時に母親を結核で亡くす。
宿の女
40代半ば。小柄で声が若い。わざとのようにゆるやかな物言い。薄い唇を開かぬほど動かし、相手の顔をあまり見ない。相手の警戒心をゆるめる黒の濃い瞳。警戒心のなさそうな、ものなれた落ち着きがある。
第一夜の娘
20歳前くらいの初々しい美しい娘。化粧荒れしていない眉。自然に長い髪。江口に乳呑児の匂いや、独身時代の恋人を思い出させる。
第二夜の娘
妖艶で、眠っていても娼婦のように男を誘う妖しさの娘。えりあしの髪を短くし、上向けに撫でそろえた髪型。前髪は自然に垂らしている。豊かな乳房。よく寝言を言ったり寝返りしたり動きが多い。「お母さん」と寝言を言う。江口は処女のしるしを見る。
第三夜の娘
16歳くらいのあどけない小顔の少女。宿の女が「見習いの子」と称する新人。おさげ髪をほどいたような髪。手入れしていない眉。長い睫毛。江口に3年前付き合っていた細身の人妻と、中年頃にあった14歳の娼婦を思い出させる。
第四夜の娘
大柄で太い首の娘。なめらかで吸いつくような肌があたたかい。整った美人ではなく、鼻の低い丸い頬の可愛い娘。低くひろがった乳房。
第五夜の娘
元気な寝相で、わき臭のややある黒光りの野性的な娘と、やさしい色気の骨細のきれいな白い娘の2人。色黒の娘は、乳かさが大きく紫黒く、長い指で長い爪で細い金のネックレスを付けている。白い娘は、乳房は小さいが円く高く、腰のまるみも同じような形で、細く長い首と美しい形の鼻。
木賀老人
江口の友人。江口に「秘密のくらぶ」を紹介した老人。会員だった福良専務の突然死のことを江口に教える。

作品背景

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『眠れる美女』の初版刊行の4か月ほど後、川端は睡眠薬の服用が高じ、1962年(昭和37年)2月には、禁断症状を起して入院しており、数日間意識不明の状態が続いた。このことから、『眠れる美女』の執筆中の川端の「内的作業」とその深部に、薬の影響が絡んでいることが推察され[7][8]、それが一種の魔界を顕現させているこの時期の作品群(『片腕』など)に反映されていることが鑑みられている[8][9]

作品評価・研究

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※川端康成の作品や随筆内からの文章の引用は〈 〉にしています(論者や評者の論文からの引用部との区別のため)。

『眠れる美女』は、『古都』や『千羽鶴』などの伝統的な日本の美を基調とした作品とはやや趣が異なる、前衛的幻想的な作風で、川端後期を代表する作品として総体的に評価が高い[10][3]。また「老人の性」を描いたものとして、谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』とも比較されることが多い[11][12][13]

海外でも注目されており、コロンビアノーベル文学賞作家ガルシア・マルケスは、この作品に触発されて、エッセイ『眠れる美女の飛行』(1982年)を書き、長編小説『わが悲しき娼婦たちの思い出』(2004年)を書いている[14]。また、台湾の作家・李昂 (小説家)中国語版が『眠れる美男』というオマージュ作品を書いており、日本語訳が2020年(令和2年)に出版されている[15]

江藤淳は、作品に漂う「異常にエロティックな雰囲気」は「ほとんど息苦しい位である」とし[11]、同じ老人の官能をテーマにした谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』に比して『眠れる美女』は明らかに「非小説的な世界」の上に作り上げられ、匂いや触覚が過去を現前させる点はプルーストの『失われた時を求めて』のマドレーヌの挿話を想起させ、また前衛的でもあるとしつつも、そこにはプルーストのような「『見出された時』を求めようとする意志」が欠け、むしろ「意志の放棄によって成立しているという点で、これはほとんど反・小説的な作品である」と評している[11]。そして作品から感じられる「美的効果」に近いものを「リズムという要素が能う限り稀弱になった十二音音楽というようなもの」と江藤は表現し[11]、『山の音』や『みづうみ』同様に「老人の女体への憧憬」がもっぱら「感覚のゆらぎ」として歌われる『眠れる美女』ではその感覚の「衰弱と荒廃」を「美に仕立てあげようとする詭計」が辛くも功を奏しているとしている[11]

この作品のエロティシズムは、生命からではなく、死の感覚をもてあそぶところから生れている。そういえば「眠れる美女」という童話があったが、川端氏の作品は、人工が最も根源的な生の秘密をあばき出しているという意味で、一種の裏返された童話だともいえるのである。 — 江藤淳「文芸時評」[11]

エドワード・G・サイデンステッカー三島由紀夫は『眠れる美女』を「文句なしに傑作」と呼び、この作評がその後の文芸論評で多く引用されることが多い[16]。三島は、「形式的完成美を保ちつつ、熟れすぎた果実の腐臭に似た芳香を放つデカダンス文学の逸品である」、「デカダン気取りの大正文学など遠く及ばぬ真の頽廃が横溢してゐる」と高く評価をし[1]、川端の中編のうち、最も「構造布置」の整った作品で、後期を代表するものだとしている[2]

そして三島は、「秘密クラブの密室に終始する」という作品世界自体に、「精神の閉塞状態」が象徴され、川端の「地獄」に慄然としたとしつつも、そうした極端な形で表現されてはいるが、その主題は川端文学全般に通底し、『禽獣』の「愛の形」も、以前から見られた「少女嗜好」も、『眠れる美女』に「帰着すべきもの」だったとし[2]、川端文学では処女小鳥も、自らは語り出さず、「絶対に受身の存在の純粋さ」を帯びていると説明しながら、以下のようにそのエロスの構造を解説している[2]

精神的交流によつてエロティシズムが減退するのは、多少とも会話が交されるとき、そこには主体が出現するからである。到達不可能なものをたえず求めてゐるエロティシズムの論理が、対象の内面へ入つてゆくよりも、対象の肉体の肌のところできつぱり止まらうと意志するのは面白いことだ。真のエロティシズムにとつては、内面よりも外面のはうが、はるかに到達不可能なものであり、謎に充ちたものである。処女膜とは、かくてエロティシズムにとつては、もつとも神秘的な「外面」の象徴であつて、それは決して女性の内面には属さない。川端文学においては、かくて、もつともエロティックなものは処女であり、しかも眠つてゐて、言葉を発せず、そこに一糸まとはず横たはつてゐながら、水平線のやうに永久に到達不可能な存在である。「眠れる美女」たちは、かういふ欲求の論理的帰結なのだ。 — 三島由紀夫「解説」(『日本の文学38 川端康成集』)[2]

そしてこういった「実在観念との一致を企むところに陶酔を見出してゐる」状態は、性欲が「純粋性慾」に止まり、「相互の感応」を前提とする「愛」から最も遠いため、ローマ法王庁カトリック教会)が最も嫌う「邪悪」となるはずだが、その概念に反し、最後に宿の女が、「この家には、悪はありません」と断言することで、川端の考える〈悪〉が何であるかが「朧ろげに泛ぶ」と三島は考察し[1]、その川端的概念に従い、「眠れる美女の世界は、無力感によつて悪から隔てられてゐる」と考えれば、川端の規定する〈悪〉が、「活力が対象を愛するあまり滅ぼし殺すやうな悪」「すべての人間的なるものの別名」であることが判り[1]、これと「反対方向の世界」に魅せられ、川端と同じくらいの厭世家の作家が、『カルメン』の作者メリメであるとして、その〈悪〉の意味の相関関係を指摘している[1]

上田渡は、江口が〈最初の女は母だ〉とひらめく場面に触れ、少年・江口が瀕死の母の胸をなでたとたんに、母が多量の血を吐き絶命したことが罪悪感として江口老人の潜在意識の残ったとし[17]、「性的回想が母に還元されていき、〈最初の女は母だ〉という結論に到達した時、それは母の死に直結していく」と解説している[17]。そして、江口が現実に母と近親相姦の関係を持ったわけでないが、死の床の母の胸をなでた時の「江口の心理状態」は「母を犯した」ことと同義であるとしつつ[17]、江口が〈右と左との娘のちぶさにたなごころをおいた〉時に母の胸をなでたことを思い出すのは、「胸にふれる行為が娘と母を結びつけている」と考察している[17]

春木奈美子は、江口が母の夢の中で見た赤いダリアのような花に囲まれた家や、深紅のカーテンに囲まれた部屋は、「母胎内の暗喩」だとし[7]、「世界と私との接続点、の起点が、女性の身体というトポスを間借りして現れる」と考察している[7]

最後の女として娘の処女を犯そうと夢想し、最初の女としての母のイマージュが回帰した後に運ばれてくる夢は、やはり血の赤によって破られる。眠る美女が駆り立てる愛撫の強迫と、死に行く母に無言で呼びかけられる強迫。死が性の衣を脱いで、死の床で無言に呼びかける母と、今宵眠れる美女の家で無言に愛撫を誘う娘とが、ここで交わる。
死という受け取りきれない贈与は、夢の中で形を変えて反復される。応答不可能な限り、この故なき責めは止むことはない。はじまりを可能にした死の痕跡は、拭い去されることはない。女主人によって跡形もなく運びだされる娘の遺体、そんな娘の一点の染みも残さぬ消失も、江口のうえに重くのしかかることになる。 — 春木奈美子「〈告白〉の現代―川端康成の『眠れる美女』を通して―」[7]

そして春木は、「性の中に漂う死の匂い」に惹きつけられる江口が、最後には、死に取り残されることを鑑み、「死は、誰ひとり追いついてくる者もいないほの暗し、地帯」であり、「われわれを惹きつけると同時に跳ね除けるもの」だと解説しつつ[7]、「深紅のビロードのカーテンの部屋にも、赤い花の家にも、歓待はない」としている[7]

深澤晴美は、佐川一政が画家・ギュスターヴ・クールベの『眠り』(白い娘と黒い娘が全裸で抱き合っている絵)と『眠れる美女』との関連に言及していたことに触れ[18]、クールベが「一個の眼」と評され、「夢の世界へ、あるいは、世界を満たす生命へと開かれている」只中の眠る女がクールベの重要なモチーフであること(阿部良雄の評)を鑑み[19]、「赤い帷に蔽われて洞穴めいた空間の中」で目覚める娘が、まだ寝ている娘を起そうとしている『目醒め』や[20]、『まどろむ糸つむぎ女』『死女の化粧』など、クールベと川端の主題との共通性を指摘しながら[10]、『片腕』論で前衛画家との関連が論じられたように[21]、『眠れる美女』と絵画との関係の研究展望を示唆している[10][注釈 1]

瀧田夏樹は、「枯れはてた老人に化けて、禁断の場所に潜入し、性の冒険を試みる江口老人のあり方」には、三島由紀夫の『禁色』の主人公・檜俊輔の「耽美的執念」を思わせ、江口の「“由夫”という名もなにか気にかかる」とし[22]、『禁色』が発表された当時、川端が〈禁色は驚くべき作品です〉と三島に伝え、〈しかし西洋へ行かれればまた新しい世界がひらけると思ひます〉と勧めている手紙に触れて[23]、この〈西洋〉で、「川端は何を云おうとしたのだろうか」と述べている[22]

森本穫は、平山城児や小林芳仁、中嶋展子らが、作中で江口老人が〈昔の説話〉〈遊女や妖婦がの化身だつたといふ話〉〈秘仏〉といった仏教的なものに言及していることから『十訓抄』の説話「性空上人見現身普賢菩薩事」「神崎君詠歌往生極楽事」や、謡曲『江口』との関わりを指摘していることを敷衍し[3][24][25][注釈 2]、こうした古典の舞台の「江口」「神崎」「蟹島」が川端の生誕地付近の淀川べりの湊であることも考え合わせ、「普賢菩薩へと化した遊女と、西行性空上人といった男性僧との対比」が『眠れる美女』の構想になったとし[26][注釈 3]、そういった「色欲に悩む男を救う遊女が仏の化身であった」という物語のテーマに、川端自身の「根源的な願い」が込められていると考察し[26]、また、川端と交流のあった石本正の絵の「裸婦」に触発された可能性も推察している[26]

そして森本は、江口老人が己の中の〈魔界〉を自覚しながら、〈眠れる美女〉らのぬくもりの側で死ぬことを願うが、少女の方が死んでしまうという予期せぬ事態と、それに続く宿の女の非情の言葉により、初めてこの館が「非人間そのものの家であることを体験」するとし[26]、そんな場所に自ら赴いていた江口自身も「人間性の一切を喪失した」ことを知ると解説している[26]

もはや江口の行手には何も残されていない。あるのは、非人間の黒々とした虚無の淵である。彼はこの先、非人間としての不毛の道を際限なく歩きとおさなければならない。それが江口における〈魔界〉である。(中略)この物語は、老人を魅惑してやまぬ秘密の家がその恐るべき正体を露呈したところで、突如、幕を閉じるのである。
老人における生(性)の回復とは所詮、畸形の夢にすぎず、その夢すら醒めてしまえば何物も残されていないという冷酷な真実の認識――。江口老人とともに作者川端康成がこの物語の最後に行きついたのは、このようなところであった。完璧な物語を描ききった作者の円熟の背後に、恐ろしい衰徴がしのび寄っている。 — 「魔界の住人 川端康成 第九章 円熟と衰徴――〈魔界〉の退潮」[26]

代筆疑惑

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西法太郎によれば、近年では『眠れる美女』は三島由紀夫代筆した作品であるという説を唱えている者もあり、元文藝春秋編集長・堤堯などをはじめ、文壇・出版界にその説は根強くあるとされる[27][28]

板坂剛も三島代筆の可能性に言及し[29][30]、安藤武が『眠れる美女』の原稿を見た時、綺麗な字で書かれていたため、これは川端の字ではないと言ったとしている[30]

おもな収録刊行本

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単行本

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  • 『眠れる美女』(新潮社、1961年11月30日) NCID BN07563073
    • 四六判。函入。150頁
  • 原稿復刻版『眠れる美女』(ほるぷ出版 名作自選日本近代文学館、1972年12月1日)
    • B4判。函入。別冊解説:長谷川泉「『眠れる美女』解説」
    • ※ 原稿は大半が遺されていて、初出誌連載の第6回、第16回、第17回の3回分を除いた14回分がそのままに復刻された[4]。ちなみに、初出発表誌では各回の文末に「つづく」と付されていたが、この川端の原稿では、第3回、第7回、第11回から第15回までの原稿文末に「つづく」とある以外、他の回には記されていない[4]
  • 文庫版『眠れる美女』(新潮文庫、1967年11月25日。改版1991年8月30日)
  • 少女の文学 1『眠れる美女』(プチグラパブリッシング、2008年6月20日)
  • 英文版『House of the Sleeping Beauties, and Other Stories』〈訳:エドワード・サイデンステッカー〉(Kodansha International Ltd.、1969年。改版1980年、新装版2004年)
    • 前文解説(Introduction):三島由紀夫
    • 収録作品:眠れる美女(House of the Sleeping Beauties)、片腕(One Arm)、禽獣(Of Birds and Beasts)

音声資料

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  • 朗読CD・〈声を便りに〉オーディオブック『眠れる美女』(響林社、2012年10月1日)
    • CD4枚(4時間51分35秒)。朗読:wis

全集

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  • 『川端康成全集第11巻 みづうみ・眠れる美女』(新潮社、1969年6月25日)
    • カバー題字:松井如流菊判変形。函入。口絵写真2葉:著者小影、光琳牡丹絵皿(尾形光琳
    • 収録作品:「みづうみ」「故郷」「あの国この国」「弓浦市」「並木」「船遊女」「古里の音」「眠れる美女」「呉清源棋談」
  • 『川端康成全集第18巻 小説18』(新潮社、1980年3月20日)

派生作品・オマージュ作品

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※出典は[31]

映画化

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  • 眠れる美女Das Haus der schlafenden Schönen(ドイツ映画) 103分。
    • 2007年(平成19年)12月15日封切(製作は2005年)。
    • 監督・脚本・製作:ヴァディム・グロヴナ。撮影:シロ・カッペラッリ。美術:ペーター・ヴェーバー。音楽:ニコラウス・グロヴナ、ジギー・ミュラー
    • 出演:ヴァディム・グロヴナ(エドモンド)、マクシミリアン・シェル(コーギ)、アンゲラ・ヴィンクラー(マダム)、ビロル・ユーネル(ゴルト)、モナ・グラス(秘書)、マリーナ・ヴァイス(メイド)、ベンヤミン・チャブック(バラード歌手)、ペーター・ルッパ(牧師)

オペラ化

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2008年:オペラ『眠れる美女~House of the Sleeping Beauties~』House of the Sleeping Beauties Opera in three Nights ラ・モネ(ブリュッセル)委託・初演。作曲・台本:クリス・デフォート 演出・台本:ギー・カシアス 台本:マリアンネ・ファン・ケルクホーフェン 振付:シディ・ラルビ・シェルカウイ

  • ラ・モネ公演キャスト:オマール・エイブライム(バリトン・老人)、バーバラ・ハニガン (ソプラノ・女)、Susanne Duwe, Alice Foccroulle, Susanne Hawkins, Els Mondelaers (コーラス) 演奏:ASKO|Schönberg CD: Fuga Libra [1]
  • 日本公演キャスト:オマール・エイブライム (バリトン・老人)、カトリン・バルツ (ソプラノ・女)、長塚京三 (俳優・老人)、原田美枝子 (俳優・館の女主人)、伊藤郁女 (ダンサー) 2016年12月10、11日、東京文化会館開館55周年・日本ベルギー友好150周年記念

脚注

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注釈

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  1. ^ なお、映画『眠れる美女』(2007年)では、主人公が死ぬ最終部でクールベの『世界の起源』と同じ構図が一瞬写る場面ある。
  2. ^ 観阿弥の書いたものを世阿弥が改作した謡曲『江口』の典拠は、『新古今和歌集』にある西行法師と遊女の歌問答や、『古事談』にある遊女普賢菩薩になったという説話である[26]
  3. ^ これらの説話は、「仏菩薩の悲願、衆生化度の方便によりて、かたちをさまざまに分てしめし給ふ。道までも賤によらざる事、かやうのためしにて心得べし」という教訓が付されている[3]

出典

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  1. ^ a b c d e 「解説」(眠れる文庫 1991, pp. 213–219)。三島34巻 2003, pp. 601–606に所収
  2. ^ a b c d e 「解説」(『日本の文学38 川端康成集』中央公論社、1964年3月)。三島32巻 2003, pp. 658–674
  3. ^ a b c d 平山城児「川端文学と古典の関係」(作品研究 1969, pp. 403–427)
  4. ^ a b c d e f g 「解題――眠れる美女」(小説18 1980, pp. 586–588)
  5. ^ 「著書目録」(雑纂2 1983, pp. 593–648)
  6. ^ 「翻訳書目録――眠れる美女」(雑纂2 1983, pp. 666–667)
  7. ^ a b c d e f 春木 2009
  8. ^ a b 「『眠れる美女』の妖しさを求めて」(アルバム川端 1984, pp. 82–85)
  9. ^ 「『片腕』論―そのフェティシズムの構造を中心に―」(川端文学研究会編『川端文学への視界』教育出版センター、1965年1月。原善 1987, pp. 112–141)
  10. ^ a b c 深澤晴美「眠れる美女」(事典 1998, pp. 282–284)
  11. ^ a b c d e f 江藤淳「文芸時評」(朝日新聞夕刊 1961年10月24日号)。江藤 1989, pp. 158–160に所収。森本・下 2014, pp. 280–282
  12. ^ 川端康成・三島由紀夫・中村光夫の座談会)「川端康成氏に聞く」(三島由紀夫編『文芸読本 川端康成〈河出ペーパーバックス16〉』河出書房新社、1962年12月)。三島39巻 2004, pp. 379–400に所収
  13. ^ 村松定孝「『眠れる美女』問答』」(作品研究 1969, pp. 273–289)
  14. ^ 花方 2006
  15. ^ 「第七章『眠れる美女』と『片腕』幻想エロティシズムの限界」(小谷野 2022, pp. 176–196)
  16. ^ 「第六章 『眠れる美女』論」(今村 1988, pp. 182–198)
  17. ^ a b c d 上田 & 1989-03
  18. ^ 佐川一政「座談会」(国文学 解釈と鑑賞 1981年4月号)。事典 1998, p. 284
  19. ^ 阿部良雄「作品解説」(『アサヒグラフ別冊 クールベ』朝日新聞社、1993年10月)。事典 1998, p. 284
  20. ^ 阿部良雄「作品解説」(『世界の名画4』中央公論社、1972年5月)。事典 1998, p. 284
  21. ^ 河村政敏「『片腕』試論」(作品研究 1969, pp. 324–336)
  22. ^ a b 「15 『みづうみ』と『眠れる美女』」(瀧田 2002, pp. 122–131)
  23. ^ 川端康成「三島由紀夫宛ての書簡」(昭和26年8月10日付)。三島往復書簡 2000, pp. 71–72に所収
  24. ^ 小林芳仁「『眠れる美女』と古典との関係」(『魔界の彷徨 川端康成研究叢書9』教育出版センター、1981年5月)。森本・下 2014, pp. 295–296
  25. ^ 中嶋展子「川端康成『眠れる美女』論―祈りとなぐさめ―」(芸術至上主義文芸・第35号 2009年11月)。『川端文学の「をさなごころ」と「むすめごころ」―昭和八年を中心に―』(龍書房、2011年12月)に所収。森本・下 2014, pp. 295–296
  26. ^ a b c d e f g 「第九章 円熟と衰徴――〈魔界〉の退潮 第三節 生命への渇仰『眠れる美女』」(森本・下 2014, pp. 280–313)
  27. ^ 西法メル 2009
  28. ^ 西法 2011
  29. ^ 「三島由紀夫と川端康成」(極説 1997, pp. 253–260)
  30. ^ a b 「第二部 美しき“日本”のミシマ――ミシマの美とその生き様が残したもの[三島由紀夫と川端康成]」板坂・鈴木 2010, pp. 59–61
  31. ^ 恒川茂樹「川端康成〈転生〉作品年表【引用・オマージュ篇】」(転生 2022, pp. 261–267)

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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眠れる美女
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