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氷上侵攻

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1658年の氷上侵攻。Johan Philip Lemke画

氷上侵攻(ひょうじょうしんこう)は、北方戦争(1655年 - 1661年)のうちのスウェーデンデンマーク間の戦闘(カール・グスタフ戦争)において、スウェーデン王カール10世指揮した、凍結した海峡を越えての奇襲侵攻作戦をいう。「ベルト海峡越えの進軍」(スウェーデン語: Tåget över stora bält, 英語: March across the Belts)とも称される。1658年に行われたこの作戦の成功によりスウェーデンはデンマークを屈服させ、ロスキレ条約が締結された。

なお、大北方戦争(1700年 - 1721年)中の1716年にもスウェーデン本土からデンマークへの氷上侵攻が試みられた。こちらは「嵐に消えた氷上侵攻」とも呼ばれている(第二の氷上侵攻)。本項ではこれについても言及する。

1658年の氷上侵攻

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ユトランド半島とフュン島(Fyn)の間にあるのが小ベルト海峡。ヒュン島とシェラン島(Sjælland)の間にあるのがる大ベルト海峡である。シェラン島とスウェーデン本土との間にはエーレスンド海峡がある。

第一の氷上侵攻は、17世紀の北方戦争を構成する「カール・グスタフ戦争」のうち、第一次戦役 (Dano-Swedish War (1657–1658)で行われた。

スウェーデン王カール10世はポーランドに侵攻していたが(大洪水時代参照)、1657年にはポーランドからの撤退を余儀なくされた。この機に乗じたデンマーク王フレデリク3世は、スウェーデンに対して宣戦布告を行った。これに対してカール10世はすぐさまポーランドからドイツを経てデンマークに侵攻し、瞬く間にユトランド半島を制圧した。しかし、デンマークの首都コペンハーゲンシェラン島に位置しており、海峡を越えての進軍は困難であった。カール10世の進軍は止まり、デンマークを屈服させることはできなかった。

折しも1657年から1658年にかけて猛烈な寒波が同地を襲い、大ベルト海峡(ストーラベルト海峡)と小ベルト海峡(リラベルト海峡)が氷結した。カール10世は好機を見逃さず、1658年1月30日朝に小ベルト海峡を越えてフェン島に到達、2月8日には大ベルト海峡を越えてシェラン島に上陸した。氷上侵攻は大成功を収め、スウェーデン軍はコペンハーゲンを包囲した。戦意を喪失したデンマークは、ロスキレ条約を締結。この結果スウェーデンは、北方戦争の事実上の覇者となった。

現代においてもスウェーデン人はこの作戦を誇りとしている[1][2][注 1]

1716年の氷上侵攻計画

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第二の氷上侵攻は、18世紀の大北方戦争における、スウェーデンとデンマークとの戦役で計画された。当時のスウェーデン王は、カール10世の孫にあたるカール12世である。

17世紀以降バルト海の覇権を握り、フィンランドを従えて「バルト帝国」と称されたスウェーデンであったが、ポルタヴァの戦い(1708年)においてロシア帝国に大敗を喫し、その威信と影響力は失墜することとなった。スウェーデンが体勢を立て直してロシアと対峙する上で、反スウェーデン同盟(北方同盟)に参加して背後からスウェーデンを脅かすデンマーク(当時はノルウェーとの同君連合国家「デンマーク=ノルウェー」を構成していた)を屈服させることが重要であると考えられていた。

カール12世は、当初ノルウェー方面への侵攻を考えて、スウェーデン本土のスコーネに陣取っていたが、1715年から1716年にかけてデンマークを寒波が襲った。これによりエーレスンド海峡が氷結して氷上侵攻が可能となり、カール12世はその準備を進めた。デンマーク側も58年ぶりの悪夢の再来を覚悟して島全体に防衛体制を敷いた。

ところが、スウェーデンが侵攻命令を下す直前になってエーレスンド海峡を嵐が吹き荒れ、氷は破壊され再びの架橋は期待できなくなった。この結果、作戦は中止された。カール12世は、以後デンマーク本土に対する牽制を諦め、その対象をノルウェー本土に定めて行く事となった。

脚注

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注釈

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  1. ^ なお、武田によれば、この戦術は、日本ではしばしば源義経鵯越や、織田信長桶狭間の戦いと比較されうるという[1]

出典

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  1. ^ a b 武田、物語 北欧の歴史、pp. 58-59.
  2. ^ 武田、物語 スウェーデン史、pp. 65-67.

参考文献

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  • 武田龍夫『物語 北欧の歴史 - モデル国家の生成』中央公論新社〈中公新書 1131〉、1993年5月。ISBN 978-4-12-101131-2 
  • 武田龍夫『物語 スウェーデン史 - バルト大国を彩った国王、女王たち』新評論、2003年10月。ISBN 978-4-7948-0612-3 

外部リンク

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