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族誅

この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)出典検索?"族誅" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2013年5月)

族誅(ぞくちゅう)または族滅(ぞくめつ)、前近代における死刑の一つで、封建国家においてクーデターの未遂など王権を脅かす重罪を犯した者に、罪人自身のみならずその一族にも死罪を及ぼさせることである。

中国の史書にもっともよく現れ、東アジア特有のものだと思われがちだが、ローマ中東など地域に限らず世界各地において行われていた。

概要

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とは、本来は皇帝が直接的な正義の行使として行う死刑を指し、律令法においては「大逆不道」の罪を犯した者に対して行使されるとされるが、皇帝の大権として行われる性格が重要視され、必ずしも法律に則っているとは限らないことに注意する必要がある[1]

説文解字』では、"誅"を「討つ」ことを意味していると解説している。『孟子』(告子篇・下)には「天子は討ちて伐せず、諸侯は伐して討たず」という言が記されており、趙岐をはじめとする注釈者は討は上位者(皇帝)が下の者(諸侯)を懲罰する行為と解している[2]鄭玄は『周礼』(天官・大宰)の注釈において「誅は責譲なり」、『礼記』(曲札・上)の注釈において「誅は罰なり」と解釈して、問責・処罰を意味するとしている[3]

古代より中国では皇帝が正当な賞罰をすることが求められ、が「四罪」と呼ばれた罪人を処罰したことで天下が治まったという故事が知られている。また、『荀子』(宥坐篇)には孔子が少正卯を殺害したときに、有徳の上位者が誅殺を行うことを肯定したことを記している[4]

戦国時代以降の法律整備と統一帝国の成立によって法律に基づいて死刑が実施されるようになり、皇帝の詔勅を必ずしも必要としなくなるが、皇帝権力の直接的な権力発動である誅殺も賞罰の権限の一部として依然として残されていた[5]

ただし、その命令が皇帝の正常な判断に基づいて出されるとは限らなかった。特に権力基盤が安定していない皇帝が自己に不都合な家臣に対して誅殺をしたり、権力者や皇帝の寵臣が皇帝の命令と称して政敵を誅殺する可能性があり、長い歴史の中で実際には無実であるにもかかわらずそれらを目的とした誅殺がしばしば行われた[6]

ただし、特定の一族・血族全体を対象とするのではなく、あくまで特定の重罪人への刑罰の付加刑として行われる。従って、族誅の対象も特定個人との親族関係を元に判断される。(詳細は下記を参照)

歴史

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古代中国の死生観において、人間は死後魂が黄泉に行き、それを現世から供養する「社稷」が子孫の義務であった。直系子孫のいない人間は近親などから嗣子を受け入れない限り黄泉で永遠に飢え苦しみ、怨恨から現世の人々を祟るとされていた。子孫を絶やされることは人々がもっとも恐れていたことであったと同時に刑罰を下す側にとっての禁忌でもあった[7]

の時代の記録に現れるが、正式に制度的な刑罰として定められたのは戦国時代になってからであり、その後の末期まで踏襲された。 中国以外では封建制度が栄えた朝鮮ベトナム日本でも行われたほか、1930年代にソビエト連邦スターリン政権による大粛清においても粛清者の家族への連座が度々行われた。

現代においてほとんどの国では廃止されたが、朝鮮民主主義人民共和国では建国以来度々行われている疑いがある。

古代中国における「族」

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春秋戦国以前の中国はを始めとする後世の中央集権的大統一王朝とは性質が異なり、各地は血縁共同体からなる部族制国家で、それらの緩衝と牽制の元に成り立つ連邦国家であった。

この時代の血縁組織の単位に「宗」と「族」があり、後世での父系同族集団である「宗族」の意味合いに当たるのが「宗」で、本人とその直系子孫からなる核家族が「族」の本来の意味合いであった。祭祀を営むための教団的な組織でもあり、「族」は「宗」に隷属していた。

史記』秦本紀に「文公二十年、初めて夷三族の罪有り。」との記述があり、この三族について『史記集解』中で張晏は「父、兄弟及び妻子」と、『周礼』春官宗伯の鄭玄注では「父、子、孫」としている。一方で、『墨子』号令篇に「諸ろ罪有りて死罪より以上なれば、皆父母、妻子、同産に還る。」とあり『漢書鼂錯伝に「大逆無道なれば、錯まさに腰斬し、父母・妻子・同産も少長なく棄市すべし。」とあり、「族」の意味はやや曖昧になって行ったものの、基本として父以下の直系近親が「三族」として連座の対象とされていた。

三族への連座は、法家性格の強いにおいて最も盛んに行われ、『後漢書』楊終伝には「秦政酷烈にして、一人罪有らば三族に延及す。」との記述があるように、罪種に関わらず家族単位での懲罰はしばしばあった。漢代になるとそれらの連座刑の大半は廃止されたが、謀反罪による連座死刑だけは残った。

さらに時代を下るにつれ、元々の「祭祀を絶やす」という宗教的な意義も廃れ、未成年者や女性などが死刑の代わりに官奴隷に没される、若しくは流刑に処されるようになった。

唐律』では、謀反大逆の罪について、「父子にして年十六以上は皆絞す。十五以下および母女、妻妾、祖孫、兄弟、姊妹、若し部曲、資財、田宅あれば並んで官に没す。」

大明律』においても「祖父子、父子、孫、兄弟及び同居の人にして異姓を分かたず、及び伯叔父兄弟の子にして籍の同異を限らず、十六以上なれば篤疾廃疾を論ぜず皆斬る。 十五以下および母女、妻妾、姊妹、子の妻妾は功臣奴と為し財産は官に没す。」とある。

日本

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魏志倭人伝において、「重罪(謀反などか)を犯した者の一族は根絶やしにされる」との記述があり、古代日本にも中国大陸と似た死生観信仰があったことを窺わせる。

日本において明確に記録された最初の事例は日本書紀のもので、雄略7年に豪族下道前津屋が謀反を企んで発覚、若武王物部(もののふ)の兵士30人を派遣し、前津屋とその一族70人を皆殺しにした。

もっとも、日本では一族が皆殺しになる例は極めて少ない。

これは特定の一族を誅殺しても、女子供は助命されるのが基本だった為である。

例えば、教科書には大化の改新の時に蘇我氏は滅んだとされているが、直系の男子が殺されたに過ぎず、蘇我入鹿の従妹の蘇我娼子は後に藤原不比等に嫁いで藤原四兄弟を産んでいる。 その蘇我氏に滅ぼされた物部氏も、物部守屋の弟(御狩)や子(雄君)は殺されておらず、その後も血筋は続いている。

平安末期に滅んだとされる平家すら、一部の男子の他、一門の女性は全員助命されている為、女系で見た場合、全く滅んでいない[8]

その後の鎌倉時代においても、女性は助命されるのが鉄則であり、一族が根絶やしになった例はない(同時代の史料『吾妻鏡』『愚管抄』『玉葉』には、滅んだ三浦宗家の未亡人たちが助命・保護されたような例(『吾妻鑑』宝治元年6月5~30日)は多々見られるが、女性が殺された例は全く見当たらない)。

しかし、室町時代(戦国時代)以降、この習慣は一部で守られなくなり、女子供までが連座させられるケースが発生している。

織田信長はその天下統一事業においての最大の敵であった武田信玄が没し、1582年の天目山の戦い甲斐武田氏を滅亡させるとともに、信玄とその近臣の遺嗣に対する徹底的な残党狩りが命じられ、本能寺の変で信長が死亡するまで継続された[9]

安土桃山時代〜江戸時代前期において親族への連座は縁座と呼ばれ、主君殺しお家騒動の首謀者など謀反大逆者に対して適用された。

  • 伊達騒動では、伊達宗勝への暗殺容疑で処刑された伊東重孝の親族も連座により殺され、宗勝派の原田宗輔が刃傷沙汰を起こした死亡した際には報復として原田の一族が族滅された。
  • 幕末天狗党の乱において、鎮圧後に天狗党の指導者武田耕雲斎田丸稲之衛門らの水戸に残されていた家族が男女の別なく乳幼児や妾に至るまで処刑されたが、明治維新後には逆に耕雲斎の孫の武田金次郎(祖父と共に小浜藩に捕らえられていたが、若年を理由に死刑を免じて同藩に配流処分とされていた)らによって反天狗党側幹部の親族が皆殺しにされた。

西洋

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アッシリア帝国サルゴン2世時代の碑文において族誅の刑罰の存在が記録されている[11]

古代ギリシャ、ローマでは家庭秩序は厳格な家父長制に基づいており、子女の生命は家父長の隷属物であった[12]。そのため刑法においては規定されていないものの、家父長が重罪により処刑された場合、その子女は運が良ければ流放もしくは奴隷にされ、最悪の場合は殺害されることも珍しくなくはなかった。帝政ローマのテイベリウス帝の時代において帝位簒奪の疑惑から近衛軍長官ルキウス・アエリウス・セイヤヌスと高位の元老院議員であったその叔父の一族はテイベリウスの命によって皆殺しにされ、セイヤヌスの長女に至っては(ローマでは信仰によって処女の殺害は禁じられていたため)強姦の上絞殺された[13]

現代において

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2013年12月に処刑された張成沢の家族・親族・姻族が幼児に至るまで一人残らず惨殺され、彼の係累は死滅させられたと報道されている。この他にも同国ではこれまでも連座などによる族滅処分が頻発しているのではないかと疑われている。

関連項目

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脚注

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  1. ^ 古勝隆一 2021, p. 205,208.
  2. ^ 古勝隆一 2021, p. 205-206.
  3. ^ 古勝隆一 2021, p. 208-209.
  4. ^ 古勝隆一 2021, p. 206-207.
  5. ^ 古勝隆一 2021, p. 207-208.
  6. ^ 古勝隆一 2021, p. 207-210.
  7. ^ 中国の死生観”. 2023年3月13日閲覧。
  8. ^ 大塚ひかり『女系で見る驚きの日本史』新潮新書、2017年9月20日』9~18頁、62頁
  9. ^ 平山祥郎『平山核スピンエレクトロニクスプロジェクト』〈戦略的創造研究推進事業〉2007年4月1日。doi:10.52926/jpmjer0703https://doi.org/10.52926/jpmjer0703 [出典無効]
  10. ^ 歴史好きの素人が語る歴史 「第99話 『連座制』、この『むごい』もの(『御定書百箇条』から見た江戸時代)」[リンク切れ]
  11. ^ Elayi, Josette (2017-07-28). Sargon II, King of Assyria. SBL Press. ISBN 978-0-88414-223-2. https://doi.org/10.2307/j.ctt1s4762q 
  12. ^ 古代ローマ人の子供観”. 2023年3月13日閲覧。
  13. ^ Cornelius, Tacitus, P. (1965). P. Corneli Taciti Annalium ab excessu Divi Augusti libr : The Annals of Tacitus. OCLC 1153169416. http://worldcat.org/oclc/1153169416 

参考文献

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  • 古勝隆一「魏晋時代の皇帝権力と死刑-西晋末における誄殺を例として-」『冨谷至編『東アジアの死刑』(京都大学出版会)』、151-178頁2008年。CRID 1010282257440399519 /所収: 古勝隆一 (2021). 中国中古の学術と社会 [漢唐注疏寫本研究]. 社會科學文獻出版社. pp. 195-236. ISBN 9787520156486 
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外部リンク

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