For faster navigation, this Iframe is preloading the Wikiwand page for 想い出のフォトグラフ.

想い出のフォトグラフ

リンゴ・スター > 作品リスト > 想い出のフォトグラフ
「想い出のフォトグラフ」
リンゴ・スターシングル
初出アルバム『リンゴ
B面 ダウン・アンド・アウト
リリース
規格 7インチシングル
録音
ジャンル ポップ[3]
時間
レーベル アップル・レコード
作詞・作曲
プロデュース
ゴールドディスク
後述を参照
チャート最高順位
後述を参照
リンゴ・スター シングル 年表
  • 想い出のフォトグラフ
  • (1973年)
リンゴ 収録曲
ハヴ・ユー・シーン・マイ・ベイビー(ホールド・オン)
(A-2)
想い出のフォトグラフ
(A-3)
サンシャイン・ライフ・フォー・ミー
(A-4)
テンプレートを表示

想い出のフォトグラフ」(おもいでのフォトグラフ、原題 : Photograph)は、1973年にアルバム『リンゴ』からの先行シングルとして発売されたリンゴ・スターの楽曲である。

解説

[編集]

制作に至る経緯

[編集]
ラギオールからのカンヌの風景

1971年4月26日にポール・マッカートニーの訴えが認められた判決が確定し、ビートルズの解散が決定的になったため、スターも今後の身の振り方を考えざるを得なかった。ジョージ・ハリスンのプロデュースによるソロ・シングル「明日への願い」をリリースしたばかりだったが、ミュージシャンとしての自身の力量に自信が持てなかったスターは、俳優業に重点を置くことを考えていた。

5月12日、妻のモーリンとともに南フランスのコート・ダジュールサントロペで行われたミック・ジャガーの結婚式に参列すると、そのままカンヌ国際映画祭の期間中に多くの映画関係者と交流するために、滞在用のヨット「マララ号」を借りた。そこに、モナコグランプリを観戦しに来ていたハリソン[注釈 1]と妻のパティが合流した[5]。この時スターはハリスンの協力の下「想い出のフォトグラフ」の作曲を始めた[6][7][8]。ヨットには、同じリバプール出身のシンガーで1960年代からの友人であるシラ・ブラックも同乗していた。ブラックは、スターとハリスンが夜の集まりでこの曲を演奏し、「乗船している全員」で歌詞のアイデアを出し合ったと言っている[7][注釈 2]。歌詞は「失恋」について歌ったもの[10][11]で、主人公はいなくなった恋人のことを思い出すために1枚の写真を持っているが、この写真は主人公にかつての2人の幸せを思い出させると同時に、恋人がもう戻ってこないという現実を突きつけているという内容であった[12][注釈 3]

映画祭終了直後、映画『盲目ガンマン』への出演が決まると[14]、これを皮切りに[15]映画俳優としてのキャリアの発展に集中し[16][17]、映画制作や監督も行った[注釈 4]。そのため、「明日への願い」が大ヒットし[注釈 5]、ソロ・アーティストとして初の成功を収めたのにもかかわらず[18]、その後は他のアーティストのレコーディング・セッションには参加しても[注釈 6]自身の音楽活動はほとんど行わず[注釈 7]、アルバム制作にも興味を示さなかった[19]

1972年12月、スターは映画『マイウェイ・マイ・ラブ』の撮影が終わると、ロンドン中心部にあるアップル・スタジオとオックスフォードシャーにあるハリスンの自宅スタジオ、フライアー・パーク・スタジオで行われていたアルバム『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』のレコーディング・セッションに参加していた。その合間にハリスンのプロデュースで、本作と「ダウン・アンド・アウト」をレコーディングした[20][21][22][注釈 8]。スターはこれに手ごたえを感じ、ようやく新しいアルバムを作ろうと考え始めた。

1973年2月下旬、翌月3日にナッシュビルで行われるグラミー賞授賞式に出席することを決めたスターは[注釈 9]、この機会にアメリカでレコーディングを行いたいと考えた[26][27]。今回はロック[28]コンテンポラリー・ポップの様式を取り入れた[29]アルバムにしたかったので、リチャード・ペリーに連絡を取り、プロデュースを依頼した[30][31][注釈 10]

レコーディング

[編集]
アレンジを手がけたジャック・ニッチェ。ニッチェは、1960年代にフィル・スペクターがプロデュースした作品のアレンジを手がけていた。

最初のレコーディング・セッションは3月5日から27日にかけて、ロサンゼルスザ・サンセット・スタジオスで行われ[33]、アルバム用のベーシック・トラックを制作し、本作も新たに録音し直された。レコーディング・エンジニアビル・シュネーが務め[34]、レコーディングにはスター(ドラム)とハリスン(12弦アコースティック・ギター)に加え、ニッキー・ホプキンスピアノ)、クラウス・フォアマンベース)、ジム・ケルトナー(ドラム)をはじめとしたミュージシャンが参加した[35][注釈 11]。このセッションで、ヴィニ・ポンシアとジミー・カルヴァート[注釈 12]は、アコースティック・ギター(リズムギター)を演奏した[38]

4月から7月にかけて、オーバー・ダビング・セッションが行なわれ[31]ボビー・キーズによるサクソフォーンソロ[26]ロン&デレク・ヴァン・イートンによるパーカッション[39]、ハリスンによるハーモニーバッキング・ボーカル[34]がオーバー・ダビングされた。6月29日には、バーバンク・スタジオジャック・ニッチェ[40][41]のアレンジによる弦楽器コーラスオーバー・ダビング[42]が行われた。その後はサウンド・ラボ[43]プロデューサーズ・ワークショップ、ザ・サンセット・スタジオスで作業を進め[44]、7月24日からのミキシングで完成した[45]

完成したバージョンは、複数のドラムカスタネットをはじめとしたパーカッションやアコースティック・ギターオーケストラ合唱団 の使用により[46]フィル・スペクターウォール・オブ・サウンドの要素が取り入れられた楽曲となった[47][注釈 13]

リリース

[編集]

本作がアルバムからの先行シングルに選ばれたので、スターは自身で書いた「ダウン・アンド・アウト」をカップリング曲に選んだ[10]。ハリスンのスライドギター[10]やライトのピアノなどが含まれたこの曲に[50]、ペリーによってホーン・セクションが追加された[注釈 14]

シングル盤ピクチャー・スリーブのカバー・アートには、バリー・ファインスタインが撮影した「銀箔でできた大きな星から頭を出しているスター」の写真が使用された。作家のブルース・スパイザーが「リンゴヒトデ」と称しているこの写真は、アルバム『リンゴ』とアルバムからカットされたシングルのレーベル面にも使用された[52][注釈 15]

アメリカで1973年9月24日、イギリスでは10月19日にアップル・レコードからリリースされた[54][注釈 16]。当時、4月にリリースされたビートルズのベスト・アルバム『ザ・ビートルズ1962年〜1966年』『ザ・ビートルズ1967年〜1970年』が大ヒットしており、スターが『リンゴ』のセッションで元バンドメイトのレノン、マッカートニー、ハリスンとレコーディングを行ったことが話題となっていた。また、映画『アメリカン・グラフィティ」』の大ヒットによるオールディーズ・ブーム、レトロ・ブームが起きており[56]、ビートルズにも注目が集まっている中でのハリスンとの共作曲の発表は、大きな期待を持って迎えられた[12][注釈 17]

アメリカのBillboard Hot 100で第1位を獲得[57]、スターにとってはソロ・アーティストとして初めて第1位を獲得した作品となった[58][注釈 18]。カナダやオーストラリアでも第1位を獲得[61]、イギリスでは最高位8位[62]だった。この商業的な成功[12][31]について、ロドリゲスは「『リンゴ』にとってお膳立てをする、いい仕事をした」と述べている[56]。12月28日時点でアメリカで100万枚以上の売上を記録し[63]アメリカレコード協会からゴールド認定を受けた[64]

その後本作は11月に発売されたアルバム『リンゴ』[65]の3曲目に収録された[66]。付属のブックレットには、フォアマンによる歌詞に対応する「棚や机の上に置かれた女性の額入り写真を見て、落ち込んでいるスター」の様子を描いた リトグラフが掲載されている[67][注釈 19]

なお、プロモーション・フィルムが制作されており、元バンドメイトのジョン・レノンから購入した[71]邸宅「ティッテンハースト・パーク」の敷地内を歩きながら歌う、という内容になっていた[72][注釈 20]

1975年に発売された『想い出を映して[73]や、2007年に発売された『フォトグラフ:ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・リンゴ・スター[74]などのコンピレーション・アルバムにも本作は収録された。また、1991年にCD形態で再発売されたアルバム『リンゴ』には、「ダウン・アンド・アウト」を含む3曲のボーナス・トラックが追加収録された[75][76][注釈 21]

2009年、ジャド・アパトーが監督を務めた映画『素敵な人生の終り方』で本作が使用され[77]、同作のサウンドトラック・アルバムにも収録された[78]

2017年、スターはアルバム『ギヴ・モア・ラヴ』にアメリカのバンド、ヴァンダヴィアーとともに再録音したこの曲を収録した[79]

評価

[編集]

Record Mirror |レコード・ミラー』誌は、シングルの大ヒットを予想、「少なくとも今後10年間はリスナーたちはこの曲を歌うことになるだろうと述べた。またレビュアーは、「ジャラジャラしたピアノ、沸き立つようなサックス、合唱、ストリングスを含むあらゆるアレンジが施されているが、曲から浮くような過剰な演出は何もない」と称賛した[80]

キャッシュボックス』誌は、本作について「強いブルースの雰囲気と優れたボーカル・パフォーマンスを含む、適度なテンポのロッカー」と評し、「すでに国内で最もホットなレコードの1つとなっている」とトップ5入りを予言した[81]

レコード・ワールド』誌はこの曲を「力強いポップ・チューン」で「リチャード・ペリーのプロダクションがしっかりしている」と評している[82]

ローリング・ストーン』誌にアルバムのレビューを寄稿したベン・ゲルソンは、レノンが作曲した「アイム・ザ・クレーテスト」や、ハリスンとマル・エヴァンズの共作「ユー・アンド・ミー」とともに、本作を『リンゴ』の中で「最も素晴らしい3曲」の1つとして挙げている[83]。イントロに「効果的にリスナーを惹きつける」要素があるとし、「歌詞が悲しげであるものの、温かさをもたらす」と書いている[83]

ビルボード』誌に掲載されたLPのレビューでは、「これまでで最高のリンゴのアルバム」におけるペリーの「見事なプロダクション」を称賛し、本作が「今月のNo.1シングルになることは、みんなもう知ってるよね?」と付け加えている[84]

オールミュージック』のスティーヴン・トマス・アールワインは、本作を「ジョージとの豪華な共演作」「Fab4のいずれかによるビートルズ以降の最高の楽曲の1つ」と見なしている[74]

ロバート・ロドリゲスは、本作を「上品に作られたバラード」「スターのソロ・アーティストとしての代表曲」と表現している[85]

これに対して12小節のブルース形式である「ダウン・アンド・アウト」について、スターの伝記作家であるアラン・クレイソンは「場当たり的な」歌詞だと評している[10]。カーとタイラーは「ペリーのプロフェッショナルなアレンジとハリスンの特徴的なスライド・ギター・ソロによってボツになるのを免れただけの非常に平凡でなげやりな曲」と評している[86]

収録曲

[編集]

オリジナル・シングル盤

[編集]
#タイトル作詞・作曲時間
1.「想い出のフォトグラフ」(Photograph)リチャード・スターキー, ジョージ・ハリスン
2.「ダウン・アンド・アウト」(Down and Out)リチャード・スターキー
合計時間:

クレジット

[編集]

※出典[87]

チャート成績

[編集]

週間チャート

[編集]
チャート (1973年 - 1974年) 最高位
オーストラリア (Go-Set Top 40 Singles)[88]
1
オーストラリア (Kent Music Report)[89]
1
ベルギー (Ultratop 50 Flanders)[90] 8
ベルギー (Ultratop 50 Wallonia)[91] 10
Canada Top Singles (RPM)[61]
1
Canada Adult Contemporary (RPM)[92]
3
アイルランド (IRMA)[93]
15
日本 (オリコン)
55
オランダ (Single Top 100)[94] 4
ノルウェー (VG-lista)[95] 6
南アフリカ (Springbok)[96]
2
スイス (Schweizer Hitparade)[97] 10
UK シングルス (Official Charts Company)[62] 8
US Billboard Hot 100[57]
1
US Adult Contemporary (Billboard)[98]
3
US Cash Box Top 100[99]
1
西ドイツ (Official German Charts)[100]
5

年間チャート

[編集]
チャート (1973年) 順位
Canada Top Singles (RPM)[101]
25
チャート (1973年) 順位
オーストラリア (Kent Music Report)[89]
24
南アフリカ (Springbok)[102]
18
US Cash Box Top 100[103]
61

認定

[編集]
国/地域 認定 認定/売上数
アメリカ合衆国 (RIAA)[64] Gold 1,000,000^

^ 認定のみに基づく出荷枚数

ライブでの演奏

[編集]

リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド

[編集]
オール・スターズ・バンドとともに演奏するスター(2011年6月26日)

1989年7月から始まったオール・スター・バンドによるツアー活動で[104][注釈 22]、スターはしばしば本作をコンサート本編のラストナンバーとして取り上げていた[106]が、ドラムは演奏せず、リード・シンガーの役割に徹していた[107]。9月3日にロサンゼルスのグリークシアターにおけるコンサートの模様は録音・撮影が行なわれ[108][注釈 23]、ライブ音源は1990年に発売されたライブ・アルバム『リンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンド』、映像は同名のビデオに収録された[110]

この後、バンドはメンバーのラインナップを変えながらツアーを続けているが、その模様のいくつかは『キング・ビスケット・フラワー・アワー』(2002年))[111]、『リンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンド・ライヴ 2006』(2008年)[112]、『ライヴ・アット・ザ・グリーク・シアター2008』(2010年)などのライブ・アルバムに収録されており、2008年のラインナップにはゲイリー・ライトも参加していた[113]

テレビ番組

[編集]

スターは、1998年5月にアメリカ・ニューヨークのケーブルテレビ・チャンネル、VH1制作の音楽番組『VH1ストーリーテラーズ』や、2005年8月にシカゴのWTTW制作の音楽番組『サウンドステージ[注釈 24]に出演し、マーク・ハドソン [注釈 25]が率いるザ・ラウンドヘッズ[注釈 26]をバックに本作を歌唱した[114]。これらの演奏はそれぞれ『ストーリーテラーズ・ライヴ』(1998年)[115]、『ライブ・アット・サウンドステージ』(2007年)[114]に収録された。

コンサート・フォー・ジョージ

[編集]

2002年11月29日、スターはロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで開催された[116]ハリスンの追悼コンサート「コンサート・フォー・ジョージ」の終盤に登場し、「僕はジョージが好きだったし、ジョージも僕が好きだった」と述べた後[117]ジェフ・リンエリック・クラプトンダーニ・ハリスン、プレストン、ケルトナー、ジム・ホーンらをバックに本作を歌唱した[118]。同コンサートのWebサイトには「リンゴ・スターは、ジョージと一緒に作った曲で、みんなの気持ちを要約するような『想い出のフォトグラフ』を演奏して涙を誘った」と記載されている[119]。イングリスは「スターの登場がその選曲により、いっそう感動をもたらした」と書いており[120]コリン・ラーキンは、著書『Encyclopedia of Popular Music』の中で、本作について「素晴らしい」と言い表し、「コンサート・フォー・ジョージ」での演奏について「スターの愛し愛される能力を浮き彫りにした」と述べている[121]。この模様は2003年に発売された同名のライブ・アルバムに収録され[122]デヴィッド・リーランドによるコンサートのドキュメンタリーにも収録された[123][124]

2003年7月に行なわれたインタビューで、スターは直近に発売したハリスンの追悼曲「ネヴァー・ウィズアウト・ユー」について触れ、バンド解散後も元ビートルズの中で最もハリスンに近い存在であり続けたと語っている[125]

第56回グラミー賞授賞式

[編集]

2014年1月26日、ロサンゼルスにあるステイプルズ・センターで開催された[126]第56回グラミー賞授賞式で、マッカートニーとともにビートルズとして生涯業績賞を受賞したスターは[127]本作を歌唱した[128]。『ローリング・ストーン』誌は、当時の演奏について「大規模のフルバンドに支えられたスターは、古い白黒写真が映し出された大画面をバックにステージを跳ね回った」と述べている[129]。この時に使用された写真は、1950年代からスターの個人的に集めていた写真で構成されており[130]、2013年に出版された写真集『Photograph』にも収録されていた[128]

他のアーティストによるカバー

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ ハリスンはF1レーサーのジャッキー・スチュワートと交流があり、1979年にはスチュワートの自伝と同名の曲「ファースター」を発表している[4]
  2. ^ ブラックは、自伝『Step Inside Love』の中で、1971年後半に本作を録音することを望んでいたが、スターから「君にはもったいない。僕が歌うよ」と言われたことを書いている[9]
  3. ^ 『The Words and Music of George Harrison』の著者であるイアン・イングリスは、ポップ・ミュージックの慣習でありふれている題材について言及する一方、歌詞には「愛が再燃するという可能性がない」という非定型的な側面を持っていることを指摘している[13]。スターは、「Now you're expecting me to live without you / But that's not something that I'm looking forward to.」というフレーズで、未来を諦める気持ちを表現している[13]
  4. ^ 1972年3月からT・レックスのライヴ映画『ボーン・トゥ・ブギー』の制作と監督、8月からはハリー・ニルソン主演のロックンロール・ミュージカル映画『ドラキュラ二世』の制作を行った。また、フランク・ザッパ主演のミュージカル映画200モーテルズに出演した。
  5. ^ アメリカのビルボード誌で第4位、キャッシュボックス誌では第1位を獲得。イギリスでも第4位を獲得した。
  6. ^ 映画『盲目ガンマン』の撮影が終わると、10月から1972年4月にかけてロン&デレク・ヴァン・イートンのアルバム『ブラザー』、 ピーター・フランプトンのアルバム『ウインド・オブ・チェンジ』、ボビー・キーズのアルバム『ボビー・キーズ』、ボビー・ハットフィールドのシングル「Oo Wee Baby, I Love You」、ニルソンのアルバム『シュミルソン二世』、T・レックスのロンドン・ライヴ、そしてザ・フーのアルバム『トミー』のロンドン交響楽団版のレコーディングに立て続けに参加した。
  7. ^ 8月1日にハリスン主催のバングラデシュ難民救済コンサートに出演した後、18日から19日にかけて自作の「ブラインドマン」を、9月にはハリスンのプロデュースで「バック・オフ・ブーガルー」をレコーディングしたが、すぐにはリリースしなかった。翌年3月、映画「バングラデシュのコンサート」のアメリカ公開と同時期にリリースされ、アメリカのビルボード誌で最高位9位、キャッシュボックス誌では最高位10位、イギリスでは最高位2位を獲得する大ヒットとなった。
  8. ^ この時のスター、ハリスン、ライト、フォアマンという編成は、1971年9月に[23]アップル・スタジオで録音された[24]「バック・オフ・ブーガルー」と同じだった[25]
  9. ^ スターは参加したライヴ・アルバム『バングラデシュ・コンサート』が年間最優秀アルバム賞にノミネートされていた。
  10. ^ ペリーはスターのアルバム『センチメンタル・ジャーニー』で表題曲のアレンジを担当していた。1972年3月にニルソンのアルバム『シュミルソン二世』のレコーディングでスターと初めて対面し、アルバム制作を打診していた[32]。またプロデュースしたニルソンの「ウィズアウト・ユー」がグラミー賞・年間最優秀レコード賞にノミネートされており、会場でスターと再会した[27]
  11. ^ ホプキンス、フォアマン、ケルトナーは、『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』のセッションにも参加していた[36]
  12. ^ アメリカのギタリスト。レノンの『ロックン・ロール』など、セッション・ミュージシャンとして多くのアーティストの作品に参加した[37]
  13. ^ レングは、「想い出のフォトグラフ」におけるアレンジと、1973年4月にスターがドラムで参加した[48]ラヴィ・シャンカルの楽曲「アイ・アム・ミッシング・ユー」でハリスンが取り入れたアレンジとの類似性を指摘している[49]
  14. ^ これによりペリーの名が共同プロデューサーとして表記されてた[51]
  15. ^ ファインスタインはハリスンの『オール・シングス・マスト・パス』のジャケット写真も担当しており[53]、アルバム『リンゴ』のアートディレクションも担当した。
  16. ^ 規格品番は、アメリカではApple 1865、イギリスではApple R 5992[55]
  17. ^ クレイソンは、本作がアメリカで発売された当時について、「1月にベトナム戦争が停戦したこともあり、戦地から息子の帰りを待つ多くの国民が、「美しい悲哀」を歌ったスターの曲をラジオでよくリクエストしていた」と述べている[10]
  18. ^ ハリスンは作曲家として「マイ・スウィート・ロード」、「ギヴ・ミー・ラヴ」に続く、3作目の全米1位となった[59][60]
  19. ^ 奇しくもアルバムの発売は、スターとモーリンの離婚の原因となるハリスンとの不倫が発覚した時期と重なっている[68]。スターとハリスンはすぐに和解したものの[69][13]、しばらくの間は顔を合わせることはなく、また本作以降2人で書いた楽曲は存在しない[70]
  20. ^ これはリップシンクであるがBBCのマイミング禁止令を回避するため、スターは曲の途中で口に手を当てており[42]、歌っているのかマイムなのか判別しにくくしている[72]。このフィルムは、BBCの音楽番組『トップ・オブ・ザ・ポップス』で1度だけ放送されたが、これは世界で放送された唯一の例となっている[72]
  21. ^ アメリカでは3曲とも「ユー・アンド・ミー」の後に収録されたが、イギリスや日本では「ダウン・アンド・アウト」が「想い出のフォトグラフ」と「サンシャイン・ライフ・フォー・ミー」の間に挿入された。
  22. ^ スターにとってはビートルズが1966年にライヴ活動を休止して以来初めてのツアーとなった[105]
  23. ^ 当時のリンゴ・スター&ヒズ・オール・スター・バンドは、スター、ビリー・プレストン、ジム・ケルトナー、リック・ダンコリヴォン・ヘルムドクター・ジョンジョー・ウォルシュニルス・ロフグレンクラレンス・クレモンズという編成だった[109]
  24. ^ PBSを通して全米に放送された。
  25. ^ ハドソンは『ヴァーティカル・マン〜リンゴズ・リターン』(1998年)から『想い出のリヴァプール』(2008年)まで、スターの5枚のアルバムで共同プロデュースを行った。
  26. ^ アルバムのプロモーションやライブ・パフォーマンスのために、レコーディング・セッションに参加していたミュージシャンを中心に編成されていた。
  27. ^ 伝記作家のロバート・ロドリゲスはこれを、他のアーティストがスターの曲をカヴァーしているという点で異例であると同時に、フンパーディンクがマッカートニーの1973年の同名曲にちなんで命名されたアルバム『My Love』にこの曲を収録しているという皮肉でもあると強調している[131]
  28. ^ 短命で終わったスターの独自レーベルリング・オー・レコードから発売された第1作となった[134]
  29. ^ 音楽評論家のブルース・エダーは、「彼女が最も魂を込めて、真っ向から取り組んでいる」ヴァージョンだと評している[138]

出典

[編集]
  1. ^ ザ・ビートルズ・クラブ (1995). リンゴ (日本版CDライナー). 東芝EMI. TOCP-3167。
  2. ^ Sound Labs, Hollywood”. Discogs. 10 January 2023閲覧。
  3. ^ Photography - Ringo Starr | Songs, Reviews, Credits - オールミュージック. 2022年2月27日閲覧。
  4. ^ 『慈愛の輝き』2004年リマスターCD英文ブックレット
  5. ^ Clayson 2003, p. 216, 227.
  6. ^ Badman 2001, p. 35.
  7. ^ a b Clayson 2003, p. 216.
  8. ^ 文藝別冊[総特集]リンゴ・スター 2003, p. 55.
  9. ^ Clayson 2003, p. 216, 393.
  10. ^ a b c d e Clayson 2003, p. 244.
  11. ^ Huntley 2006, p. 97.
  12. ^ a b c Schaffner 1978, p. 161.
  13. ^ a b c Inglis 2010, p. 55.
  14. ^ Badman 2001, p. 36.
  15. ^ Rodriguez 2010, p. 42.
  16. ^ Woffinden 1981, p. 37.
  17. ^ Ingham 2006, p. 139.
  18. ^ Woffinden 1981, p. 45, 47.
  19. ^ Ingham 2006, p. 139–40.
  20. ^ Madinger & Easter 2000, p. 503, 507.
  21. ^ Spizer 2005, p. 254,306.
  22. ^ Leng 2006, p. 124-125.
  23. ^ Badman 2001, p. 47.
  24. ^ Rodriguez 2010, p. 32.
  25. ^ Castleman & Podrazik 1976, p. 209.
  26. ^ a b Clayson 2003, p. 241.
  27. ^ a b Rodriguez 2010, p. 139.
  28. ^ Spizer 2005, p. 305,306.
  29. ^ Doggett 2011, p. 207.
  30. ^ Schaffner 1980, p. 165.
  31. ^ a b c Madinger & Easter 2000, p. 501.
  32. ^ “ザ・ビートルズのオーラを彷彿とさせるリンゴ・スターのソロ・アルバム『Ringo』”. Udiscovermusic. (2020年7月7日). https://www.udiscovermusic.jp/stories/ringo-starr-solo-album-invoked-beatles 2023年1月21日閲覧。 
  33. ^ Rodriguez 2010, p. 34,139.
  34. ^ a b Spizer 2005, p. 306.
  35. ^ Castleman & Podrazik 1976, pp. 211–212.
  36. ^ Rodriguez 2010, p. 260.
  37. ^ Jimmy Calvert”. Discogs. 2022年12月28日閲覧。
  38. ^ Spizer 2005, p. 306, 307.
  39. ^ Spizer 2005, p. 306, 344.
  40. ^ Williams 2003, p. 66, 67.
  41. ^ Brown 2008, p. 120-122.
  42. ^ a b Madinger & Easter 2000, p. 503.
  43. ^ Sound Labs, Hollywood”. Discogs. 10 January 2023閲覧。
  44. ^ Badman 2001.
  45. ^ Harry 2004, p. 118.
  46. ^ Spizer 2005, p. 307.
  47. ^ Rodriguez 2010, p. 143, 261.
  48. ^ Lavezzoli 2006, p. 195.
  49. ^ Leng 2006, p. 138, 139.
  50. ^ Madinger & Easter 2000, p. 507.
  51. ^ Spizer 2005, p. 303.
  52. ^ Spizer 2005, p. 302.
  53. ^ Barry Feinstein”. Discogs. 2023年1月21日閲覧。
  54. ^ Castleman & Podrazik 1976, p. 127.
  55. ^ Harry 2004, p. 182, 183.
  56. ^ a b Rodriguez 2010, p. 261.
  57. ^ a b The Hot 100”. Billboard. 2022年2月28日閲覧。
  58. ^ Rodriguez 2010, p. 35, 157.
  59. ^ Leng 2006, p. 141, 142.
  60. ^ Huntley 2006, p. 98.
  61. ^ a b Top RPM Singles: Issue 3228”. RPM. Library and Archives Canada. 2022年3月2日閲覧。
  62. ^ a b "Official Singles Chart Top 100". UK Singles Chart. 2022年3月1日閲覧。
  63. ^ Spizer 2005, p. 293, 303.
  64. ^ a b "American single certifications – Ringo Starr – Photograph". Recording Industry Association of America. 2022年3月1日閲覧
  65. ^ Badman 2001, p. 111.
  66. ^ Castleman & Podrazik 1976, p. 128.
  67. ^ Spizer 2005, p. 309, 311.
  68. ^ Doggett 2011, p. 208, 209.
  69. ^ Clayson 2003, p. 248.
  70. ^ Rodriguez 2010, p. 157.
  71. ^ Doggett 2011, p. 204, 205.
  72. ^ a b c Badman 2001, p. 108.
  73. ^ Schaffner 1978, p. 182, 209.
  74. ^ a b Erlewine, Stephen Thomas. “Photograph: The Very Best of Ringo Starr - Ringo Starr | Songs, Reviews, Credits”. AllMusic. All Media Network. 2022年2月28日閲覧。
  75. ^ Madinger & Easter 2000, p. 507, 645.
  76. ^ Ruhlmann, William. “Ringo - Ringo Starr | Songs, Reviews, Credits”. AllMusic. All Media Network. 2022年2月28日閲覧。
  77. ^ NEWS 02 Jul 2009”. Concord Music Group (2009年7月2日). 2013年10月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年2月28日閲覧。
  78. ^ Raper, Dan (2009年8月26日). “Various Artists: Music from the Motion Picture Funny People”. PopMatters. PopMatters Media. 2022年2月28日閲覧。
  79. ^ Marinucci, Steve (2017年7月7日). “Ringo Starr's New Album Has a Little Help From His Friends, Including Paul McCartney”. Billboard. 2022年2月28日閲覧。
  80. ^ “Discorama: Singles UK”. Record & Radio Mirror: 28. (20 October 1973). 
  81. ^ “Cash Box Record Reviews”. Cash Box. (6 October 1973). https://worldradiohistory.com/Archive-All-Music/Cash-Box/70s/1973/Cash-Box-1973-10-06.pdf. 
  82. ^ “Hits of the Week”. Record World: 1. (October 6, 1973). https://worldradiohistory.com/Archive-All-Music/Record-World/70s/73/RW-1973-10-06.pdf 2023年3月21日閲覧。. 
  83. ^ a b Gerson, Ben (20 December 1973). “Ringo Starr: Ringo : Music Reviews”. Rolling Stone: 73. https://web.archive.org/web/20071001201429/http://www.rollingstone.com/artists/ringostarr/albums/album/94702/review/6067449/ringo. 
  84. ^ Tiegel, Eliot (reviews ed.) (3 November 1973). “Top Album Picks: Pop”. Billboard: 56. https://books.google.com/books?id=LgkEAAAAMBAJ&q=best+Ringo+album+ever. 
  85. ^ Rodriguez 2010, p. 143, 157.
  86. ^ Carr & Tyler 1978, p. 107.
  87. ^ Spizer 2005, pp. 306–307.
  88. ^ Go-Set Australian charts - 16 February 1974”. poparchives.com.au. 2022年3月2日閲覧。
  89. ^ a b Kent 1993, p. 426.
  90. ^ "Ultratop.be – Ringo Starr – Photograph" (in Dutch). Ultratop 50. 2022年3月1日閲覧。
  91. ^ "Ultratop.be – Ringo Starr – Photograph" (in French). Ultratop 50. 2022年3月1日閲覧。
  92. ^ Top RPM Adult Contemporary: Issue 3228”. RPM. Library and Archives Canada. 2022年3月2日閲覧。
  93. ^ The Irish Charts - Search Results - Photograph”. Irish Singles Chart. 2022年3月27日閲覧。
  94. ^ "Dutchcharts.nl – Ringo Starr – Photograph" (in Dutch). Single Top 100. 2022年3月2日閲覧。
  95. ^ "Norwegiancharts.com – Ringo Starr – Photograph". VG-lista. 2022年3月2日閲覧。
  96. ^ SA Charts 1965-March 1989”. South African Rock Lists. 2022年3月2日閲覧。
  97. ^ "Swisscharts.com – Ringo Starr – Photograph". Swiss Singles Chart. 2022年3月2日閲覧。
  98. ^ Ringo Starr Chart History (Adult Contemporary)”. Billboard. 2022年3月2日閲覧。
  99. ^ CASH BOX Top 100 Singles - Week ending NOVEMBER 24, 1973”. Cash Box magazine. 2008年1月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月2日閲覧。
  100. ^ Offiziellecharts.de - Ringo Starr - Photograph”. GfK Entertainment charts. 2022年3月2日閲覧。
  101. ^ Top 100 Singles of '73”. RPM. Library and Archives Canada. 2022年3月2日閲覧。
  102. ^ Top 20 Hit Singles of 1974”. South African Rock Lists. 2022年3月2日閲覧。
  103. ^ The Cash Box Year-End Charts: 1974”. Cashbox Archives. 2016年10月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月2日閲覧。
  104. ^ Badman 2001, p. 426.
  105. ^ Sandall, Robert (January 1991). "Ringo Starr". Q. Available at Rock's Backpages (subscription required).
  106. ^ Madinger & Easter 2000, p. 651-665.
  107. ^ Clayson 2003, p. 350, 353.
  108. ^ Badman 2001, p. 428.
  109. ^ Clayson 2003, p. 348, 349.
  110. ^ Madinger & Easter 2000, p. 532, 533.
  111. ^ Harry 2004, p. 186.
  112. ^ Album credits, Ringo Starr & His All Starr Band Live 2006 CD (2008). Koch Records. Producer: Ringo Starr.
  113. ^ Erlewine, Stephen Thomas. “Live at the Greek Theatre 2008 - Ringo Starr & His All-Starr Band, Ringo Starr | Songs, Reviews, Credits”. AllMusic. All Media Network. 2022年2月28日閲覧。
  114. ^ a b Erlewine, Stephen Thomas. “Live at Soundstage - Ringo Starr | Songs, Reviews, Credits”. AllMusic. All Media Network. 2022年2月28日閲覧。
  115. ^ Madinger & Easter 2000, p. 559, 560.
  116. ^ Doggett 2011, p. 332.
  117. ^ Leng 2006, p. 310.
  118. ^ Inglis 2010, p. 124, 126.
  119. ^ The Event”. The Concert for George. 2022年3月1日閲覧。
  120. ^ Inglis 2010, p. 126.
  121. ^ Larkin 2011, p. 1982, 1984.
  122. ^ Inglis 2010, p. 125, 155.
  123. ^ Holden, Stephen (2003年10月3日). “Film in Review: 'Concert for George'”. The New York Times. The New York Times Company. 2022年3月1日閲覧。
  124. ^ Ruhlmann, William. “A Concert for George [Video] - Various Artists | Songs, Reviews, Credits”. AllMusic. All Media Network. 2022年3月1日閲覧。
  125. ^ Ruttenberg, Jay (2003年7月24日). “R-I-N-G-O”. Time Out New York. 2014年12月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月1日閲覧。
  126. ^ Gibsone, Harriet (2014年1月27日). “Grammys 2014: Sir Paul McCartney joined on stage by Ringo Starr”. The Guardian. Guardian Media Group. 2022年3月1日閲覧。
  127. ^ James, Lauren (2014年1月27日). “Beatles Mania Sweeps Grammys as Paul McCartney, Ringo Starr Reunite to Perform”. Contactmusic. 2022年3月1日閲覧。
  128. ^ a b Rivadavia, Eduardo (2014年1月26日). “Ringo Starr and His All-Star Band Perform at the Grammys”. Ultimate Classic Rock. Townsquare Media. 2022年3月1日閲覧。
  129. ^ Staff writer (2014年1月26日). “Paul McCartney and Ringo Starr Share Grammy Stage for Rare Performance”. Rolling Stone. 2022年3月1日閲覧。
  130. ^ Crowder, Courtney (2013年7月5日). “Review: 'Photograph' by Ringo Starr”. Chicago Tribune. 2013年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年3月1日閲覧。
  131. ^ Rodriguez 2013, p. 61.
  132. ^ Clayson 2003, p. 271.
  133. ^ Woffinden, Bob (12 April 1975). “Ringo Starr: Everyone One of Us Has All We Need ...”. NME. http://www.rocksbackpages.com/Library/Article/ringo-starr-everyone-one-of-us-has-all-we-need. 
  134. ^ Woffinden 1981, p. 78.
  135. ^ Clayson 2003, p. 271, 272.
  136. ^ Sullivan, Denise. Camper Vantiquities - Camper Van Beethoven | Songs, Reviews, Credits - オールミュージック. 2022年3月1日閲覧。
  137. ^ Hoskyns, Barney (6 March 1997). “Sloan "One Chord to Another"”. Rolling Stone: 72. 
  138. ^ Eder, Bruce. Beginnings - Cilla Black | Songs, Reviews, Credits - オールミュージック. 2022年3月1日閲覧。
  139. ^ iTunes Preview: 'Funny People (Original Motion Picture Soundtrack) [Bonus Track Version]'”. iTunes Store. 2022年3月1日閲覧。

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]
先代
  • エディ・ケンドリックス
  • 「キープ・オン・トラッキン」
Billboard Hot 100 ナンバーワンシングル
1973年11月24日(1週)
次代
{{bottomLinkPreText}} {{bottomLinkText}}
想い出のフォトグラフ
Listen to this article

This browser is not supported by Wikiwand :(
Wikiwand requires a browser with modern capabilities in order to provide you with the best reading experience.
Please download and use one of the following browsers:

This article was just edited, click to reload
This article has been deleted on Wikipedia (Why?)

Back to homepage

Please click Add in the dialog above
Please click Allow in the top-left corner,
then click Install Now in the dialog
Please click Open in the download dialog,
then click Install
Please click the "Downloads" icon in the Safari toolbar, open the first download in the list,
then click Install
{{::$root.activation.text}}

Install Wikiwand

Install on Chrome Install on Firefox
Don't forget to rate us

Tell your friends about Wikiwand!

Gmail Facebook Twitter Link

Enjoying Wikiwand?

Tell your friends and spread the love:
Share on Gmail Share on Facebook Share on Twitter Share on Buffer

Our magic isn't perfect

You can help our automatic cover photo selection by reporting an unsuitable photo.

This photo is visually disturbing This photo is not a good choice

Thank you for helping!


Your input will affect cover photo selection, along with input from other users.

X

Get ready for Wikiwand 2.0 🎉! the new version arrives on September 1st! Don't want to wait?