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姥神大神宮

姥神大神宮
姥神大神宮
鳥居と拝殿
所在地 北海道檜山郡江差町姥神町99
位置 北緯41度51分59.2秒 東経140度7分30.1秒 / 北緯41.866444度 東経140.125028度 / 41.866444; 140.125028座標: 北緯41度51分59.2秒 東経140度7分30.1秒 / 北緯41.866444度 東経140.125028度 / 41.866444; 140.125028
主祭神
社格県社
創建 建保4年(1216年
例祭 8月5日
地図
地図
姥神 大神宮の位置(北海道内)
姥神 大神宮
姥神
大神宮
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瓶子岩。折居が神から授けられた瓶子が形を変えたものだという。

姥神大神宮(うばがみだいじんぐう)は、北海道檜山郡江差町にある神社である。旧社格県社。社伝では鎌倉時代の創建と伝える、北海道最古の神社とされる[2]渡島国一宮と称されており、姥神大神宮渡御祭にて配られる名刺にその記載がある事からもそれがうかがえる。

姥神大神宮渡御祭にて配布される姥神大神宮名刺(表面)

祭神

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天照皇大御神天児屋根神住吉大神を祀る。

歴史

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社伝によれば、建保4年(1216年)、江差の海辺・津花町に創建されたと伝える。

そのころ、津花の浜に「折居[3][4]様」と呼ばれる老姥が庵を結んでいた。彼女には予知能力があり、天気や病気の流行を予言しては周囲に伝えるので、村の衆から何かと大事にされていた。さて、ある年の春先のこと。折居は神島(かむいしり)から光が発せられているのを見て驚き、光の源を訪ねて島に渡った。島には老翁がおり、「この中の水を海に撒くと、という魚が群れになってやって来る」と、彼女に瓶子を授けた。その瓶子を持ち帰り、中の水を海に撒いたところ、話にたがわず鰊の大群が押し寄せ、村は豊漁に沸き立った。

ところが、村人が礼をしようと折居を訪ねたところ、彼女はいつのまにか姿を消していた。そこで、庵に残されていた神像を「姥神」として祀ったのが当社の始まりという。

正保元年(1644年)に現在地に遷座した。当地を治めた松前藩松前氏からも崇敬を受け、9代藩主の道広は「降福孔夷」(福を降ろすことは孔だ夷なり)の扁額を奉納した。

やがて江戸時代中期になると、北海道近海にロシア船が姿を現すようになった。寛政11年(1799年)、幕府の命で蝦夷地を巡視していた最上徳内は、扁額の「孔夷」を「紅夷」(ロシア人のこと)と読み誤り、その報告を受けた幕府は、ロシア人と密通していたのではないかとの疑いをかけ、松前藩は取り潰しの危機となった。後の調査で、崩し文字のため「孔」が「紅」に見えてしまったということが判明し、藩の取り潰しは回避された。しかし、道広は扁額を現在の「降民殿」に取り替えた。文化14年、朝廷から正一位神階が授けられた。

毎年、8月9日、10日、11日に姥神大神宮渡御祭が開催され、全国から観光客が集まる。

アイヌ起源説

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神社の起源がアイヌ時代の伝承が基になっているという説がある[5]

江差に住んでいたアイヌの老夫婦が食べるものがなく困っていると、神のお告げがあった。これに従って舟楫で海をかき回すと、白波が盛り上がってニシンの群来を得た。老翁を祀ったのが鴎島(神威尻)の恵比須堂で、老婆を祀ったのが姥神大神宮であるとする[1]

折居社

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現在の姥神大神宮境内にある折居社は、後に姥神を祀ったものであるというが、江差町津花町には元々の折居社があったと伝わる場所も残されていて、鳥居が立てられた境内には、囲われた「折居さんの井戸」が残され、津花町と姥神町の町内会の有志によってその場所が現在も守られている。また、姥神大神宮渡御祭において、山車関係者の参拝や切り声の奉納なども行われる事がある。

交通

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脚注

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  1. ^ a b 小笠原省三 1951, pp. 27–28.
  2. ^ 北海道最古と考えられている神社は複数あり、定まらない[1]
  3. ^ 一般に「おりい」と呼ばれているが、「於隣(おりん)」と呼ばれていた説もある。現在の折居社の由来説明看板には両方の表記がある。
  4. ^ 爲岡進 (2002, p. 107) にも「折居(おりい)」と「於隣(おりん)」両方の記述がある。
  5. ^ 藤木義雄著「北海道開拓と宗教」『北海道宗教大鑑』広報、1964年8月、1頁。 NCID BA35331278 

参考文献

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  • 青木伸剛 編『蝦夷地の神社の歴史』2002年6月。 NCID BA61271027 
  • 小笠原省三 編『北海道拓殖と神社』海外移住文化研究所、1951年5月。 NCID BA33191611 
  • 爲岡進『江差姥神大神宮祭礼写真集』北海道出版企画センター、2002年8月。ISBN 4-8328-0204-6 

外部リンク

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姥神大神宮
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