リキサンパワー
リキサンパワー | |||||||||
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欧字表記 | Rikisan Power[1][2] | ||||||||
品種 | サラブレッド[1] | ||||||||
性別 | 牡[1] | ||||||||
毛色 | 青鹿毛[1][2] | ||||||||
生誕 | 1981年4月21日[1] | ||||||||
死没 | 2007年12月9日(26歳没)[3] | ||||||||
父 | オーバーサーブ[1] | ||||||||
母 | イスズアロー[1] | ||||||||
母の父 | アローエクスプレス[1] | ||||||||
生国 | 日本(北海道新冠町)[1] | ||||||||
生産者 | 新冠伊藤牧場[1][2] | ||||||||
馬主 | 岩井三郎[1] | ||||||||
調教師 | 高松邦男(美浦)[1] | ||||||||
競走成績 | |||||||||
生涯成績 | 30戦5勝[1] | ||||||||
獲得賞金 | 1億5914万7000円[1] | ||||||||
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リキサンパワー(欧字名:Rikisan Power、1981年4月21日 - 2007年12月9日)は、日本の競走馬、種牡馬[1]。主な勝ち鞍に1985年の札幌記念、1987年のフェブラリーハンデキャップ。
経歴
[編集]1981年4月21日、北海道新冠町の新冠伊藤牧場にて誕生。1983年8月高松邦男厩舎よりデビュー。初戦の新馬戦は柴田政人を鞍上に迎えたが2着、続く2度目の新馬戦で勝利した後、函館3歳ステークスで2着に入り一躍注目されたものの、続く京成杯3歳ステークス、中島啓之に乗り替わった朝日杯3歳ステークスは何れも7着となり、この年は5戦1勝で終える事となった。
迎えた1984年のクラシックシーズン、共同通信杯4歳ステークスで2着に入りクラシック戦線へと名乗りを挙げるが、弥生賞、皐月賞では何れも精彩を欠き日本ダービーには出走出来ないまま休養に入った。秋は田面木博公に乗り替わり京都新聞杯から始動、菊花賞14着を経てダービー卿チャレンジトロフィー、暮れのクリスマスステークスと進むも調子は戻らず着外が続き7戦0勝、未勝利は疎か出走レースの殆どで掲示板を外すなど極度の不振に喘いだ(尚、この年の菊花賞優勝馬シンボリルドルフは前年のミスターシービーに続き史上4頭目の牡馬クラシック三冠を達成、当時日本競馬史上初の無敗の三冠だった)。
年は変わって1985年、前年の鬱憤を晴らすかの様に年始の金杯(東)で2着と好走するも、続くアメリカジョッキークラブカップは9着となった。これ以降、好走と着外を周期的に繰り返すような走りが続く事になる。吾妻小富士賞で1着となった後、安田記念7着を経てダート初戦となった札幌日経賞で3着、続く札幌記念を1番人気で制し前年とは打って変わって春シーズンのみで2勝し自身初となる重賞も制した。しかし函館記念で12着、天皇賞(秋)で17着となるなど夏以降はまた着外を繰り返し、この年は10戦2勝で終えた。
1986年、前年のダートでの好走を受けてか、この年から主戦場をダートへと移した。初戦は唯一の地方出走となった大井競馬場の帝王賞で2着に入ると、中央へ戻って札幌日経賞を制した。札幌記念3着、根岸ステークス2着と好走を続けた後、芝のマイルチャンピオンシップに出走するも8着、再びダートに戻ったウインターステークスでは距離適性の影響もあってか着外となり、中央5戦1勝、地方1戦0勝でこの年を終えた。
1987年はやはりダートのガーネットステークスから始動、2着に入った。続くフェブラリーハンデキャップで1着となったのを最後にこの年2戦1勝で引退する。通算は中央29戦5勝、地方1戦0勝だった。
ダートより芝を重視する日本競馬に於いて、当時は今以上に芝偏重傾向が強い中、2度の重賞制覇は何れもダートであり芝のみならずダートにも高い適性を見せた。1600メートルから2000メートルのレースだと度々好走したが2200メートルになると着外を繰り返すなど距離によって得手不得手が顕著に表れる馬だった。また調子の波が激しく、好調時は好走を続けるが一旦調子を落とすと着外を繰り返してしまうなど長いスランプに陥る傾向にあった。
種牡馬としては生涯で57頭の産駒が血統登録されたが[4]、目立った成績を残した馬はいない。1996年11月10日に用途変更となり[2]、以後は功労馬となったのち2007年12月9日に死亡している[3]。
主な戦績
[編集]- 1983年
- 2着 - 函館3歳ステークス
- 1984年
- 2着 - 共同通信杯4歳ステークス
- 1985年
- 1986年
- 1987年
- 1着 - フェブラリーハンデキャップ
- 2着 - ガーネットステークス
血統表
[編集]リキサンパワーの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ニジンスキー系 |
[§ 2] | ||
父 *オーバーサーブ Over Served 1972 鹿毛 |
父の父 Nijinsky1967 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
Flaming Page | Bull Page | |||
Flaring Top | ||||
父の母 Nautical Miss1960 黒鹿毛 |
Sailor | Eight Thirty | ||
Flota | ||||
Appian | Roman | |||
Miss Aubrey | ||||
母 イスズアロー 1974 鹿毛 |
アローエクスプレス 1967 鹿毛 |
*スパニッシュイクスプレス | Sovereign Path | |
Sage Femme | ||||
*ソーダストリーム | Airborne | |||
Pangani | ||||
母の母 イスズヒメ1965 鹿毛 |
*パーソロン | Milesian | ||
Paleo | ||||
第四アレグロ | *ソロナウェー | |||
アレグロ | ||||
母系(F-No.) | 7号族(FN:7-c) | [§ 3] | ||
出典 |
- 6代母オーグメント(競走馬名アスベル)は、共に天皇賞の前身である帝室御賞典と優勝内国産馬連合競走の勝ち馬。さらに牝系を遡ると、小岩井農場の基礎輸入牝馬の一頭であるアストニシメントにたどり着く。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o “リキサンパワー”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2022年11月1日閲覧。
- ^ a b c d “リキサンパワー(JPN)”. インターネット血統書データベースサービス. 公益財団法人ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2023年4月15日閲覧。
- ^ a b “リキサンパワー | 馬・牧場・施設検索”. 競走馬のふるさと案内所. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2021年6月10日閲覧。
- ^ “父馬別血統登録馬”. インターネット血統書データベースサービス. 公益財団法人ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2023年4月15日閲覧。
- ^ a b “血統情報:5代血統表|リキサンパワー”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年8月15日閲覧。
- ^ a b c “リキサンパワー (Rikisan Power)の血統表 | 競走馬データ”. netkeiba.com. 株式会社ネットドリーマーズ. 2023年4月15日閲覧。
外部リンク
[編集]- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ
- リキサンパワー - 競走馬のふるさと案内所
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