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ノート:岩村高俊

評価の節について[編集]

本文と評価の節に殊更高慢・無思慮な人間等酷評されていますが、そもそも誰が評したのでしょうか。北越戦争当時は未だ20代の青年であって、ほんの人生の一部分です。その時の行動で高慢・無思慮とはあんまりでしょう。維新後に幾つもの県令を経験し男爵になった人物はその先の長い人生も含めたものを評価とすべきです。--代言人(!) 2006年3月8日 (水) 15:25 (UTC)[返信]


とは言ってもその後の言行や逸話を見ても、無思慮傲慢としか言い様が無い。どうひいき目に見ても思慮が浅く横柄と言う評価しか下せそうにないですよ

通りすがりの人、2006年5月8日 以上の署名の無いコメントは、218.131.208.37(会話履歴)氏によるものです。--Sabulyn 2006年7月9日 (日) 06:32 (UTC)[返信]


本文の高慢無思慮傲慢ってのはどこぞの学者がいったのでしょうか。--代言人 2006年5月8日 (月) 13:16 (UTC)[返信]

司馬遼太郎は小説「歳月」の中で岩村高俊のことを「キョロマ」としています。 文中、佐賀の乱の際に大久保利通が佐賀県権令として岩村高俊を派遣を決めた際、 参議木戸孝允は、「人もあろうに、選りによって岩村高俊のようなキョロマをやるとは、じつに国家の大事をあやまるものだ」 と言い、大久保(利通)をなじり、人事をひるがえすよう忠告した。キョロマというのは倨倣で無思慮な行動家、というほどの意味の長州言葉であり、上方でいうケトッパチというのと語感が似ている。 が、大久保はきかなかった。(キョロマだから、使うのだ)と大久保はおもっているが、わざと説明しない。(略)木戸も百戦の政治家である。そこを見抜いた。 とある。蛇足ながらこの一件で木戸孝允は決定的に大久保に対して悪感情を持ったともされている。--以上の署名のないコメントは、210.164.12.120会話/Whois)さんが 2006年11月9日 (木) 07:24 に投稿したものです(こぶまきによる付記)。


北越戦争の結果からすれば「無思慮」に関しては非の打ち所は無いと断言出来ます。「無思慮」に「無能」「浅はか」など更に追加しても良いでしょう。回避が可能であった北越戦争で大被害を出す結果を招いたわけですし、北越方面の軍を順調に進め、新潟港を奪い、米沢及び庄内に睨みを利かせば、大いに新政府軍を利したで有りましょう。
ただし、これはあくまで結果論です。本人の資質について結果で決めることの是否は議論の余地有りです。当時20代の青年であった事は免罪符にならないと思われます。敵味方志高い青年だらけの状況ですから。20代当時の失敗は失敗として評価して、後の人生における功績は別途記載すると良いかと考えます。まあ藩閥政治で県令になった事や男爵に叙せられた事が能力の証明になるとは思えませんが。--ほかほかご飯 (Hot, Steamy Rice) 2006年5月25日 (木) 15:19 (UTC)[返信]


岩村高俊を高慢・無思慮な人間と評した最も重要な人物は、おそらく品川弥二郎です.品川のように北越戦争の失敗を強く認識していた政府関係者は、その責任を岩村高俊及び彼を軍監に任じた総督府の人選に求める傾向があります.また、河井の擁護者は総じて岩村の能力・人間性を糾弾しています.(泉鐸次郎『河井継之助伝』ほか) 加えて岩村自身、『岩村高俊自伝』のなかで河井に傲慢な態度で臨んだことを認めていますから、品川らの評価は不当なものとは言えないでしょう.(ただし、それとて岩村という人物が生涯にわたって高慢・無思慮であったことの証左にはなり得ませんが)
一方、佐賀の乱で鎮圧された不平士族の関係者も岩村の性格・態度に直接の原因を認めるような証言を残しています.江藤新平に同情的であった木戸孝允も、北越戦争についての品川弥二郎の見解とよく似た形で岩村高俊を非難していたように記憶しています.
このように、北越戦争や佐賀の乱を敗者の側から研究する者にとっては、岩村高俊の性格・態度を酷評する証言には事欠かないという実情があります.とりわけ小千谷談判での対応については、嘆願をすげなくあしらった理由が総督府の方針に従ったというよりもむしろ河井の態度を不快に思ったという点にあったことを岩村自身で告白している(『岩村高俊自伝』)以上、彼が高慢の謗りを受けることはある程度免れません.(裏を返せば河井も、というより嘆願する立場であるはずの河井の方が、高慢・無思慮とされて然るべきであるとも言えますが)
しかしそれでも、本項の評価が極端に主観的であることは憂慮すべきだと思われます.
たとえば「岩村は贅沢な朝食を地元の娘に給仕させていた。激怒した山県は土足のままその膳を蹴り上げた」とありますが、山県の到着は夜です.膳を蹴り上げたことについても、いま手元にないので確認は出来ませんが、山県の『越の山風』にそこまでの記述はなかったように思います.さらに山県は、岩村を呼び戻そうとした総督府に反対し、岩村を守っています.
「不平士族の挑発に利用されている」というのもおかしい.岩村は大久保に「今佐賀県の状最も暴発に近し。依而余をして佐賀県権令たらしめば兵力を率いて佐賀城を占領せん。不平の徒必ず激発すべし。しからば直ちに兵力を以てこれを殲滅す」というきわめて具体的な内容の建白書を提出しており、その提案通りに行動しただけです.(『日本政治裁判史録 明治・前』) 利用云々といった観点からすると、佐賀の乱平定後、大久保が清を訪れる際に岩村を随行させていることを考えれば、むしろ岩村が大久保を利用したと言った方が正確でしょう.さらに「ここにも藩閥政治の限界が見え隠れする」のくだりなどはまったく意味不明で、土佐人の岩村が薩人の大久保に取り入って佐賀人の江藤らを鎮圧したことがなぜ「藩閥政治の限界」なのか、さっぱり解りません.
もっとも恣意的に思われるのは、岩村の愛媛県令としての業績がまったく閑却されているということです.愛媛県令としての岩村は自由民権運動を奨励した非常に評判の良い為政者でした.この頃の岩村には高慢・無思慮といった特徴は少しも見出されません.
小千谷談判での岩村をして彼の全人格と結び付け、そのまま佐賀の乱を弾圧する小悪党に仕立て上げ、愛媛県令としての岩村についてはほとんど言及しない.これは北越戦争を題材にした『峠』、佐賀の乱を描いた『歳月』といった司馬遼太郎の小説作品に影響されたためと考えられます.司馬はこの二作品で岩村の人間性を掘り下げておきながら、『坂の上の雲』の冒頭では松山に深く関わっているはずの岩村高俊の存在をほとんど無視していますから.
以上のような理由から、この記事は大きく手を加えるべきだと提案しますが、いかがでしょうか.--Umschau 2006年8月9日 (水) 01:50 (UTC)[返信]

その方向でどうぞよろしくお願いします。--代言人【右】 2006年9月26日 (火) 19:55 (UTC)[返信]
客観性に疑問が残りますね。岩村の建白書は当時の状況では、それほど奇特なものとは思えず、むしろ猟官活動といえるのではないのでしょうか。したがってそういう岩村を狡猾な大久保が利用したと考えた方が自然に思えます。若干状況が異なりますが、西南戦争の時も大久保は薩摩私学校勢力を挑発していますから、乱を起こさせるための大久保の常套手段と言って良いでしょう。少なくともこの件の岩村高俊は「キョロマ」と言われても仕方が無いと思います。--以上の署名のないコメントは、210.164.12.120会話/Whois)さんが 2006年11月9日 (木) 07:24 に投稿したものです(こぶまきによる付記)。

男爵位の後継者について[編集]

当項目ではこの更新にて「甥(通俊の長男)の岩村八作が男爵位を継いでいる。」となっていますが、岩村透(高俊長男)の項目を見ると、初版から「1906年に父が亡くなると男爵位を襲爵した。」となっております。これはどちらが正しいのでしょうか。こちらの方は別件での討議が続いているようですので、この件についてはノート:岩村透にて討議したいと思います。情報をご存じの方のご協力をよろしくお願いします。--こぶまき 2008年12月21日 (日) 16:24 (UTC)[返信]

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