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トーマス・ロックリー

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トーマス・ロックリー

Thomas Lockley
生誕 1978年(45 - 46歳)
イギリスの旗 イギリスロンドン
出身校 シェフィールド大学オープン大学
職業 作家、英語教育者
代表作 信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍
African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan
影響を与えたもの 弥助
肩書き 日本大学法学部准教授
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トーマス・ロックリー英語: Thomas Lockley、1978年 - )は、イギリス出身の英語教育者[1]日本大学法学部准教授[2][1][3][4]。元ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)客員研究員[3][5]。研究分野は言語学習の内容言語統合型学習(英語: Content and language integrated learning[6](CLIL)。日本やアジアの歴史に関する研究も行う[3]

日本語の著書などでは姓が先に書かれ、ロックリー・トーマス[7]、またはロックリー トーマス[8]と表記される。

経歴

1978年イギリスロンドンで生まれる[9][1][6]シェフィールド大学で外国語教員免許を取得し(PGCE)、オープン大学大学院を修了(MA Ed.[10]

2000年JETプログラムの参加者として初来日し、鳥取県鳥取市に2年間滞在した[6]。鳥取では、小学校でALT(外国語指導助手)として働いた[11]

2009年から日本に在住し[10]、同年4月から2013年まで神田外語大学で語学専任講師を務めた[12][13]

2013年に日本大学法学部の助教となり、その後専任講師を経て[10]2019年4月に日本大学法学部の准教授となる[10][9](2024年4月時点で現任[14])。また、同じく2019年にロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)の客員研究員となった[3]

日本大学法学部では外国語(英語)の授業を担当しており、日本史や王貞治など、生徒が興味を持ちやすいテーマで英語授業を展開している[15][10]。 文献や著者説明では「歴史と英語の教科を担当している」という記述が多いが[3][1][6]、実際に担当している教科は英語のみである[10][14]。 2022年から国際社会文化論のゼミナールを開講し、国際社会の視野からみる日本史を学ぶ[16]

2009年か2010年の頃、インターネット上で弥助のことを知り、その魅力に魅かれる。それをきっかけにして論文を作り始めたが、まもなく歴史ノンフィクション作品として弥助を主人公にした作品も作り始め、以降は作家としても活動している[17]

活動

認定NPO法人難民支援協会の支援者である[11]。日本CLIL教育学会でも活動している[4]

弥助騒動

史実と異なる記述・発言問題

ロックリーの著書や、彼の説を採用したメディアで登場する弥助や関連する出来事に関して、資料や史実と異なっており、デマを生み出しているなどの批判がなされている[18][19][20][21]

ロックリーは弥助に関する著書や解釈において、実際に文献・資料にある内容だけでなく、想像や創作で補った内容を多数含んでいるにも関わらず、フィクションスペキュレイティブ・フィクション)・推測や仮説ではなく、ノンフィクション・歴史的事実として提示しており[17][22][23]、次第に弥助の専門家として認められるようになった[24]。書籍の分類も一般書ではなく、小説形式で書かれた学術書となっている[25][26]。ロックリーの想像により生み出された弥助像は、日本を含む世界各国の主要メディアにおいて、まるで事実であるかのように取り上げられ[27][28][29][30][31][3]、「弥助は本著書の通り“伝説のサムライ”である」「弥助は日本のヒーローだった」など、世界中で様々な誤解を生む事態となっている。

ロックリーが著者である日本語で出版された書籍『信長と弥助: 本能寺を生き延びた黒人侍』や『つなぐ日本史2 近世』に寄稿した記事[32]と、海外向けに出版された書籍『African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan』や海外メディアの記事を比べると、日本向けでは推測や仮定の話と前置きする柔らかい表現を使う一方、海外向けでは断定的な表現になっているなど、異なる部分が存在し内容が統一されていない[24]

ロックリー自身、自らの主張に証拠がないことは認めており[33]、例えば『African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan』の取材に対して「一次資料に基づいているが、物語を完結させるために『研究に基づく仮定』をかなり多く加えている」としている[34]。別の機会では「事実に基づく歴史的文書ではなく、自身の『情報に基づいた研究に基づく仮説』に基づき、歴史上の弥助は織田信長の単なる家臣ではなく、立派な侍だった」[35]と語っている。一方、著書や専門家として出演したメディアのインタビューの中では、何が資料を参考にした内容で、どこからが推測なのかを明確に提示していない。

「織田は弥助を守護鬼か、寺院で黒い像として表される繁栄の神『大黒天』のどちらかだと信じていた[36]」、「本能寺の変で織田信長が切腹する際、弥助に首をはねて息子に届けるよう頼んだ[37]」(別の記事では「信長の介錯を森蘭丸が行い、蘭丸が自分の介錯を弥助に依頼した」としている[38])など、ロックリーは様々なエピソードを語っており、中には日本の歴史専門家でも「聞いたことがない。検証できない」という内容が含まれているものの[39]、海外メディアはこれらを専門家の話として報じている。

問題の発覚と、後述の「アサクリ『弥助』問題」が大きくなると、批判はロックリーにも向かうようになったため、「私は何の関係もなく、プレイするつもりもないのに、多くの人が私に責任があると考えているようです。そのため、このアカウントを凍結します」とコメントし、全てのSNSアカウントを閉鎖している[40]

証拠がないにもかかわらず、「黒人が日本人に奴隷にされていた」という主張への批判

『信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍』には、戦国時代の日本において「イエズス会士は清貧の誓いを立てて奴隷制に反対しており通常はアフリカ人を伴うことはなかった」「地元の名士のあいだでは、キリスト教徒だろうとなかろうと、権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ。弥助は流行の発信者であり、その草分けでもあった」という記述が存在する[41]

これを組み合わせることで「イエズス会は奴隷を使わなかったが、日本人が黒人奴隷を求めたから伴っていることがあった。日本に黒人奴隷制があった」などと読める内容であるとして、「事実とは異なる」とか「日本が黒人奴隷を生んだというデマが世界に広まってしまうのでは」など、偽史の拡散に対する非難や懸念がなされている[18][42]。 「宣教師がボディーガードとして連れてきた黒人が日本人に奴隷にされた」という不正確あるいはファンタジーな記述についても、国際的に「歴史的事実」として広がりつつあることについて、批判が起こっている[24]。SNSなどでの批判の中には「黒人奴隷は日本発祥だとロックリーが主張した」と勘違いしている人が見受けられるが、ロックリーはそのような主張をした事実はなく誤りである。

フロイスの『フロイス日本史』によると沖田畷の戦いの有馬・島津軍側に大砲を扱う黒人がいたとされており、天正遣欧少年使節の『天正遣欧使節記』でも「見たことがある」という記載があり、他にも幾つかエピソードがあることから、弥助と同じく宣教師の従者などの名目で複数の黒人が日本国内にいたこと自体は事実と考えられている[43]。当時の日本国内にどれくらいいたかの具体的な数字や、日本人や当時の各大名が組織的に奴隷として使用していたという情報は存在しない。

更に遡ると坂上田村麻呂黒人説があり、こちらは証拠の無いデマだったと結論付けられているが、未だに黒人社会や一部の民族学者の中では根強く残っている[44]。「侍が勇敢であるためには、黒人の血を少しは受け継がなければならない」という諺が日本に存在すると信じている者もいるうえ[45]、論文も存在する[46]。今回の弥助に関する論争を受け、黒人説を信じる人が「日本のサムライは黒人の影響を受けている。それを否定する人は人種差別主義者だ」などと根拠のない主張をする例が散見される。この現象は『SHOGUN 将軍』公開時にも発生していた[47]

なお、ポルトガル商人がイエズス会宣教師公認(または黙認)のもと、日本人や中国人などアジア人を奴隷として買い集め、自国植民地まで連行していた時期があったという指摘が存在する[48]。日本人は黒人と同じくポルトガルなどヨーロッパの奴隷として使われる立場であり、後にバテレン追放令が発令されることとなった[49]

証拠がないにもかかわらず、弥助を「侍」と断定する記述への批判

戦国時代の頃は侍や武士の定義が曖昧だったが、ロックリーは以下のような理由により弥助は武士であり侍であると主張している。

  • 弥助と侍についてのTIME誌の取材に対し「彼は腹心だった」「武器を持ち、ボディーガードの役割だった」「領主のために武器を手に取った人は誰でも、技術的には自分を侍と名乗ることができ、また侍と呼ばれることもできた」「記録はないが、言い伝えでは、敵から信長の首を守ったのは弥助だったとされている」「弥助が首を持って逃げたことは、日本の歴史を変えたと見られていたかもしれないし、実際にそう見られてきた」などと侍の話と本能寺の変の話を述べている[50]
  • BBCヒストリーマガジンに寄稿した記事にて「俸禄、京都の北東にある安土城の屋敷、召使い、そして日本刀を受け取った。日本刀は武士の象徴であるため、日本では伝統的に弥助が記録に残る最初の外国人武士であると理解されている」としている[51]
  • 後述のゲーム『アサシンクリードシャドウズ』および今回の弥助騒動についてのジャパンタイムズの取材に対し「武士としての権利、特権、責任を儀式的に与えられたかはともかく、弥助は『殿』と呼ばれ、扶持をもらい、信長の紋章を与えられていた。当時としては名誉ある地位だった」「弥助が侍だったという文書は存在しない。しかし、他の誰かが侍だったという文書も存在しない」「日本の歴史の専門家は弥助が武士であることに疑問を呈していない」と武士であることを示す文献がなく証拠がないことを認めたうえで、武士ではないことを示す文献も存在せず、自分の主張を日本の専門家が否定していないと述べている[33]。この記事に関しては、当初は「『信長と弥助』のファクトチェックを行った桐野作人も侍という主張に反論していない」と記述していたが、「意見を求められただけでファクトチェックなどは行っていない」と桐野がSNSで否定したため、その部分を撤回している[52]

しかし、豊臣秀吉織田信長小者(足軽)から武士へと認められたのは、信長の下で約10年間の軍役を経てからであることを考えると、信長の下で2年未満しか仕えていない弥助が武士になったとは考え難いという批判がある[24]

文献を確認すると、弥助が侍であると断定されている資料は存在しない。信長公記の写本の一つ、尊経閣文庫本『信長公記』には「扶持鞘巻、私宅が与えられ、時には道具などを持たせた[53][54]」という旨の記載があるものの、尊経閣文庫版は全文が公開されていないうえ、他の信長公記[55][56]、織田家や織田信長、イエズス会の文献では同様の記載がなく確認することができておらず裏付けが取れない状態となっている。記載されているのはこの写本のみである[20]。尊経閣文庫本『信長公記』を含めいずれの文献でも、弥助の具体的な仕事内容や身分に関する記載はない。「道具をなどを持たせた」とあるが、刀などの武器の場合もあるし、その他の場合もあり、何を持っていたのかは不明である。

徳川家家臣の松平家忠の日記『家忠日記』において、天正10年4月19日(1582年5月11日)付けの記述に「扶持を与えられた弥助という黒い男がいる」[57][58]という記載があることから、内容は不明ながら扶持(現在で言う給料)だけは確認することができる。

発言者であるロックリー自身が認める通り、本能寺の変で「森蘭丸が信長の介錯人となった」「弥助が信長の首を持って逃げた」などの話は、本能寺の変での弥助の行動を記述している唯一の資料であるイエズス会の記録に書かれていない内容である[59]。尊経閣文庫本『信長公記』で与えたという内容に召使いは含まれておらず、こちらも記録にない内容である[54]

自作自演の「Yasuke」改ざんの疑い

2015年以来、英語版wikipediaの弥助の項目に、ロックリーの未発表著作を参考文献として挙げ、「弥助は侍だった」などとする不確かな情報が繰り返し加筆された。加筆者と特定されている「tottoritom」は、日本大学の准教授であると名乗っており、さらに、ロックリーには鳥取で日本語教員の経験があることから、ロックリーの未発表著作を出典として加筆した「tottritom」は実際にロックリー本人ではないかと考える人らによって、大きな批判が起こっている[24]

英語版ウィキペディアの「User:Tottoritom」は、「東京にある日本大学法学部の教員であるトーマス・ロックリー」と自己紹介している[60]

wikipediaだけでなくブリタニカ百科事典でもロックリーと見られる人物により記事「Yasuke」が編集されていたが、今回の騒動を受け2024年7月に専門家委員会がファクトチェックを行い更新を行った。ただし、その更新内容を執筆したのはロックリー本人である[61][62]

アサクリ『弥助』問題

ロックリーの著書を参考にして作られたと見られている、「伝説のサムライ」という設定を持つ弥助が主人公である2024年11月15日に発売予定のゲーム『アサシンクリードシャドウズ』のコンセプトアートにおける日本の描写が、不自然で史実に沿っていないことなどから、騒動が起こり[19]、発売中止の署名運動がなされている[42]

ゲーム内で、侍であるはずの弥助が、村の中で白昼堂々と敵を惨殺する姿が描かれており、この描写はサムライらしくないとして批判を集めた事に対し、ユービーアイソフトは「当時、死を見ることは日常茶飯事であり、当時の日本ではほとんどの人が死ぬ方法はきれいな斬首だった」と答えたが、歴史的に正確ではない回答であったために批判を生んだ[24]。ゲーム内で侍として描かれた弥助は、社会的地位が高い「伝説の人物」として尊敬を集める存在とされているが、歴史上の侍は必ずしも地位が高いわけではなく、ロックリーの主張に影響を受けたアサクリ制作者がまったく誤った概念に基づき、史実における見解と著しく異なるキャラクターを生み出してしまったと批判されている[24]

主人公の一人が「黒人侍の弥助」であることに関して、「どうして日本が舞台なのに主人公が黒人なのか」「弥助は侍ではない」などと批判する人に対して、「多様性を否定している。黒人批判をしている」と人種差別主義者扱いしたりポリコレに結び付けて反論する者も現れている[63]

また、日本が舞台であるはずのゲーム内で、なぜか逆さまに描かれた中国の仏像や工芸品、ミャンマーやタイの農作業の場面が出てくる、日本の「関ヶ原鉄砲隊」「相馬野馬追」などの画像盗用といった複数の失態が発生している。騒動を受けて出したゲームに関する声明の中で、弥助を採用した理由として「"私たちの待"つまり日本人ではない私たちの目になれる人物を探していました」という発言が含まれていたこともあり(現在は該当部分削除済み)、日本のみならず、中国や韓国でもユービーアイソフトの制作陣、ひいては白人社会がアジア文化を無視・軽視・差別していると非難する異例の事態を招いている[24][64][65]

ロックリーは本ゲームに関して「関わっていない」としているが、発売前のポッドキャスト配信での宣伝に出演していたことが確認されている[40]。問題が大きくなっても本動画は公開されている。

騒動に関する影響と見解

歴史専門家の見解

弥助が侍であるか否かについては、資料が少なすぎほとんど検証できないため研究も論文も存在しなかったものの、今回の騒動を受けて複数の研究者・学者が個人的意見・見解を出す事態となっている。

呉座勇一は『信長と弥助』のみを読んでコメントをし、尊経閣文庫本『信長公記』に記載されている「鞘巻の熨斗付(装飾刀)と私宅(屋敷)を与えた」というのが事実であれば、武士として遇されていたとしている。しかしその情報が尊経閣文庫本『信長公記』にしかなく、他の文献には存在しないことに触れ、「書写過程で付け加えられたのでは」という可能性を提示しており、ロックリーやメディアが報じる「黒人のサムライ」という主張に対しては慎重な姿勢を示している[66]。また、「侍だったとしても『形の上では』ということもあります」と実態は伴っていなかった可能性も指摘している。九州の黒人の話については、「九州のキリシタン大名の一部が黒人を召し抱えていたということが、分かりにくい書かれ方をしている」と事情を推察した。そのうえで、「基本的な部分をちゃんと理解した上で敬意を払うのが欠けている」「発想の飛躍がある」「姿勢が適切ではない」とロックリーに対しての批判も述べている[20][39]

平山優はX(旧ツイッター)において資料が不足していることを認めつつ、「侍であったことは間違いない」と主張している[67][68]。しかしながら、「帯刀が認められている」「2刀指し」など、豊臣秀吉刀狩(1588年)や身分統制令(1591年)、1668年と1683年に江戸幕府が発したお触れでの帯刀禁止を理由に挙げており、弥助がいた頃より後の基準で話を述べている。弥助がいた頃は、農民や町民であっても刀の所持・帯刀は制限されていない[69]

群馬県立文書館の見解

群馬県立文書館所蔵の栗間家文書の「年未詳加藤清正書状」(下川又左衛門ほか宛)に、豊臣秀吉の朝鮮出兵に関連する記述の中で「くろほう」という言葉が出てくることに対しトーマス・ロックリーはNHKの番組「Black Samurai 信長に仕えたアフリカン侍・弥助」において「くろほう」こそ、織田信長に仕えた黒人武将弥助の後身ではないかとする解釈を示している。これに対し同館は、「くろほう」をこれまで全く黒人として認識していないとし、ロックリーの指摘に驚愕しているとしている。例えば『源氏物語』にも「くろほう」という言葉が登場するが、これは「黒芳」(練り香)の意味で、日本の古典で頻出しているとし「くろほう」を黒人と解釈するのは困難としている[70]

弥助に関する誤解の訂正を求める署名活動

ロックリーの著書やインタビューでの発言を元に、日本国外に弥助や日本の歴史に関する誤った認識が広がっているとして、「トーマスロックリー氏が広めた弥助に関する誤解の訂正を求める署名」を求める運動が起こっている[71]

国政における動き

2024年7月11日、参議院議員浜田聡は弥助および『アサシンクリードシャドウズ』について、「想像で本を書き、内容を史実として世界に広め、作り物の歴史を世界の真実にしてしまう」「日本文化・歴史・日本人を酷く軽視し、歪められた」とし、関係省庁に見解を求めた[72][73]

文部科学省は「家庭用ゲームが子供に及ぼす悪影響について、一般論として、公序良俗に反する内容が疑われる場合などには、慎重な対応が求められる」と回答をしている[72]

外務省は「ゲームにおける話で、外交とは関係していないことから、対応できかねる」[72]と回答し、『アサシンクリードシャドウズ』のゲームについてのみ回答。ロックリーが海外に向けて誤った歴史を広げたことについては回答しなかった。海外メディアでは「かなり大きな問題になってきており、外交問題に発展する可能性がある。可能性があると申し上げたが、現段階ではゲームなのでお答えできない」と続報があることを伝えている[74]。 一方、在モザンビーク特命全権大使であった池田敏雄(在任期間は2017年4月~2020年2月)が在任中に掲載していた大使館のウェブサイト内の挨拶で、「信長は弥助と名付け武士の身分を与えて家臣にした」「弥助は訪日した最初のアフリカ人」など、ロックリーの主張に沿った内容を記載していた[75]。その後、「※弥助の身分に関しては諸説あり、在モザンビーク日本国大使館として特定の見解を示すものではありません。」との注記を追記した。

NHKの見解

2024年7月24日、NHK は2021年3月30日にBS4Kで放送されたトーマス・ロックリーを起用した番組「Black Samurai 信長に仕えたアフリカン侍・弥助」を放送した件について見解を問われ、「出演者の一人であり取材もしたが、番組自体は多くの専門家への取材で構成されている。問題があったとは思っていない」とし、またオンデマンドでの公開を中止した件については「当初から1年という予定で配信をした。予定通り終えたということで、今回いろいろ取り沙汰されたこととは関係がない」と回答している[76]

論文・著書

論文

  • Thomas Lockley. A Gentleman from Japan The Untold Story of an Incredible Journey from Asia to Queen Elizabeth’s Court. Harper Collins publishers. 2024[4]
  • Thomas Lockley. Pirates of the East. Medieval World Culture and Conflict. 2024. 10. 50-53[4]
  • ロックリ- トーマス. 信長の黒人「さむらい」弥助. つなぐ世界史. 2023. 2. 30-35[4]
  • The Killer and the Queen: Two Women Warriors of Medieval Japan. Medieval World. Culture and Conflict. 2022. 1. 24-27[4]
  • An African Samurai in Japan. Yasuke. Medieval World Culture and Conflict. 2022. 1. 1. 10-13[4]
  • Review of Mihoko Oka: The Namban Trade: Merchants and Missionaries in 16th and 17th Century Japan. (European Expansion and Indigenous Response 34.) 277 pp. Leiden and Boston: Brill, 2021. Bulletin of SOAS University of London. 2022. 85. 1[4]
  • Congratulations on your 1,010th mention, Thomas!,The name T. Lockley is mentioned in a Japan paper uploaded to Academia.,,View Your Mentions ▸,No Thanks,Skip to main content,,,Search,,MENTIONS,ANALYTICS,UPLOAD,,TOOLS,padlockPremium,99+,Thomas,Review of Christopher Harding's: The Japanese: A History in Twenty Lives. Japan Forum. 2021. 22. 1[4]
  • ロックリー・トーマス. African Odysseys: AFRICA, INDIA AND BEYOND IN THE EARLY MODERN WORLD. African Rulers and Generals in India (Afro-South Asia in the Global African Diaspora). 2020[4]
  • "Yong Lads of Very Good Capacitie": Christopher and Cosmus, Anglo-Japanese Pioneers. Japan Forum. 2019. 31. 1. 86-109[4]
  • Posted to Tottori: Professor Michael Screech's Memories of Rural Post-war Japan. 桜文論叢. 2019. 99. 57-76[4]
  • Thomas Lockley. English Dreams and Japanese Realities: Anglo-Japanese Encounters Around the Globe, 1587-1673. Revista de Cultura, Macau. 2019. 60. 124-139[4]
  • Nagasawa Kanaye: The Spiritual Life of California’s Japanese Wine Pioneer. 桜文論叢. 2018. 97. 41-79[4]
  • Investigating attitudinal change arising from acontent and language integrated learning (CLIL) course in Japan. 桜文論叢. 2017. 93. 57-87[4]
  • Language and culture exchange in foreign language learning: an experiment and recommendations. Innovation in Language Learning and Teaching. 2016. 10. 3. 238-254[4]
  • The Story of Yasuke: Nobunaga's African Retainer. 桜文論叢. 2016. 91. 89-127[4][6]
  • Thomas Lockley. Promoting International Posture through History as Content and Language Integrated Learning (CLIL) in a Japanese Context. Studies in Second Language Learning and Teaching. 2015. 5. 1. 66-87[4]
  • Thomas Lockley. Some Learning Outcomes and Contextual Factors of History as Content and Language Integrated Learning (CLIL) in a Japanese Context. Studies in Linguistics and Language Teaching. 2014. 25. 25. 165-188[4]
  • Answers to Outstanding Questions about Japanese Student ICT Competencies and a Glance into a Mobile Future. The Asia Pacific Education Researcher. 2013. 22. 4. 603-617[4]
  • International History as CLIL: Reflection, Critical Thinking and Making Meaning of the World. The Asian EFL Journal. 2013. 15. 4. 330-338[4]
  • Japanese University Students’ CALL Attitudes, Aspirations and Motivations. CALL-EJ online. 2012. 13. 1. 1-16
  • Lockley Thomas, Farrell Stephanie. Is Grammar Anxiety Hindering English Speaking in Japanese Students?. JALT Journal. 2011. 33. 2. 175-190[4]

MISC

  • Thomas Lockley. THE EXTRAORDINARY, ORDINARY LIFE OF NAKAHARA TOSHIKO. Litro. 2021
  • Assessing the 2003 ‘National Action Plan to Cultivate ‘Japanese with English Abilities’: Apparent progress, but some way to go. Electronic Journal of Foreign Language Teaching. 2012. 9. 2. 152-169

著書

  • A Gentleman from Japan: The Untold Story of an Incredible Journey from Asia to Queen Elizabeth’s Court
    (Hanover Square Press 2024年 ISBN 9781335016713
  • 英語で読む 日本史をつくった女性たち
    (東京書籍 2022年 ISBN 4487815363
  • 英語で読む外国人がほんとうに知りたい日本文化と歴史
    (東京書籍 2019年 ISBN 4487812887
  • African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan
    (Girard Hanover Square Press (Harper Collins) 2019年 ISBN 9781335141026[3]
    共同著者:Thomas Lockley,Geoffrey Girard
    • African Samurai : the true story of Yasuke, a legendary black warrior in feudal Japan : [pbk.]
      (Hanover Square Press 2021年 ISBN 9781335044983
      共同著者:Thomas Lockley,Geoffrey
      2019年に発売されたもののリプリント版で、2019年の初版は380ページ[77]だが、こちらは480ページ[78]である
    • Yasuke: The true story of the legendary African Samurai
      (イギリス版 Hanover Square Press 2019年 ISBN 9780751571615
    • Il primo samurai: Arrivò in Giappone come schiavo e divenne una leggenda
      (イタリア版 Newton Compton Editori 2022年 ISBN 9788822758293
    • Yasuke. Afrykański samuraj w feudalnej Japonii
      (ポーランド版 Kirin Publishing House 2021年 ISBN 9788366627079
    • その他、ナレーターによるオーディオブックが存在する
  • 信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍
    (太田出版 2017年 ISBN 9784778315566[3]
    著者:ロックリー トーマス (訳:不二淑子)

講演・発表

  • Let’s Learn: The World as Classroom: Yasuke(Let’s Learn: The World as Classroom 2024)[4]
  • The Developmnt of Japans Capital Cities(慶応義塾大学 Keio Japan India Lab 2024)[4]
  • Female Warriors of the Genpei War: Tomoe Gozen and Hojo Masako(Yokosuka Council on Asia Pacific Studies. 2022)[4]
  • Diversity and inclusion. A CLIL self-study book about inspiring Japanese women, and,it's conceptual framework.(JCLIL東北学会 2022)[4]
  • Diversity and inclusion. A CLIL self-study book about inspiring Japanese women and it's conceptual framework(第27回J-CLIL例会 2021)[4]
  • African Samurai: True Story of a Legendary Black Warrior in Feudal Japan(George Washington University 2021)[4]
  • Yasuke: An African Warrior in Japan(The Smithsonian Institution,AfricAsia: Overlooked Histories of Exchange 2020)[4]
  • Webinar: The African Who Became a Samurai(Yokosuka Council on Asia-Pacific Studies 2020)[4]
  • https://newbooksnetwork.com/african-samurai (New Books Network 2020)[4]
  • CLILの理論的枠組(授業のデザイン再考 -TBLTおよびCLILの観点から- 2020)[4]
  • YASUKE: AN AFRICAN WARRIOR IN JAPAN WITH PROF. THOMAS LOCKLEY(Aga Khan Museum, Toronto, Canada 2020)[4]
  • Meet the Author: Thomas Lockley(Tokyo American Club, Meet the author 2020)[4]
  • Thomas Lockley, co-author of “African Samurai: The True Story of Yasuke, a Legendary Black Warrior in Feudal Japan”(The Foreign Correspondent's Club of Japan, Book Break 2019)[4]
  • Taking CLIL out of the Classroom(日本CLIL教育学会(J-CLIL)第2回大会 2019)[4]
  • ‘Yong lads of very good capacitie.’ Christopher and Cosmus, Anglo-Japanese pioneers.(SOAS Japan Research Centre Seminar. 2019)[4]

関連項目

脚注

出典

  1. ^ a b c d トーマス・ロックリー プロフィール”. HMV&BOOKS online. 株式会社ローソンエンタテインメント. 2024年6月25日閲覧。
  2. ^ LOCKLEY Thomas, 日本大学研究者情報システム, https://researcher-web.nihon-u.ac.jp/search/detail?systemId=b821967215ac2300740660f458cd5cad&lang=ja 2024年7月21日閲覧。 
  3. ^ a b c d e f g h ロックリー トーマス”. TUTTLE-MORI AGENCY AUTHORS. 株式会社タトル・モリ エイジェンシー. 2024年6月25日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak LOCKLEY Thomas”. researchmap. 国立研究開発法人科学技術振興機構. 2024年8月5日閲覧。
  5. ^ SOAS University of London - Academic staff” (英語). SOAS University of London - Academic. ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)公式サイトの所属研究員一覧(英語). 2024年7月20日閲覧。2024年7月20日現在、Academic staff一覧にThomas Lockleyの名前はない(客員研究員(Visiting scholar)の分類もこの一覧には含まれる)
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参考文献

外部リンク

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